帝京・金田監督、就任1年目の夏終わる 「重圧はありました」名将を継ぐ者が得た教訓
「もっとこの子たちと一緒にやりたかった」
自身も帝京出身で、選手時代は2年生だった2002年夏に甲子園出場を果たし、準決勝まで勝ち上がっている。2011年からコーチを務め、昨夏に恩師の前田名誉監督からバトンを渡された。「正直言ってプレッシャーはありました」と打ち明ける。
監督として、昨秋の東京都大会では準々決勝で国学院久我山、今春の都大会では準決勝で関東一に敗れた。「何回も何回もチームは壊れましたが、そのたびに3年生を中心に持ち直し、なんとかチームになれました」と万感の思いで振り返った。「体づくりや打力の面では成長を感じています」と目を細めつつ、それでも「ただ、ちょっと守備がね……」ともう1度同じことを悔やんだ。
思わぬ誤算もあった。背番号「1」を託した佐久間光正投手(3年)が、初戦(実践学園戦)翌日の17日、練習中に利き手の右手中指にボールを当て負傷。登板不能に陥った。この日の準決勝に至ってようやく、5回途中からリリーフで登板し、1回2/3を投げたが、相手に傾いた流れを引き戻すことはできなかった。金田監督は「何とか間に合いましたが、ボールは行ってなかった。しようがないですね」と肩を落とした。
就任1年目を振り返り「強い帝京をつくりたい、3年生を勝たせたい、その思いで全てを注いできました。もっともっと、このチームを見ていたかったし、この子たちと一緒にやりたかった。残念です」と声を震わせた金田監督。一方、渡邊は「監督は自分の家族との時間を削って、自分たちに尽くしてくれました。恩を返し切れなかったことが悔しいです」と言葉を絞り出した。
「いい感じでチーム状態は上がってきていたので、もう少しできるかなと思ったのですが、甘かったです」と、ルーキー監督は痛切な悔恨とともに教訓を得た。名門復活への道のりは途に就いたばかり。チームに残る下級生とともに、前向きな試行錯誤を繰り返していく。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)