私服で練習、部室は落書きだらけの17年前 弱小校が甲子園で大阪桐蔭を破るまで

坂原監督が2005年夏に就任、環境を整え県屈指の強豪校となった

 しかし、在籍していた11人の部員は坂原監督とともに荒れたグラウンドを整備。草をむしり、落書きだらけの部室をペンキで塗るなど練習環境を整え、当初の目標だった秋季県大会出場にこぎつけた。勝てる野球部へと成長していく下関国際の初めの一歩だった。

 それから3年後の2008年、のちにドラフト6位でロッテ入りし、同校初のプロ野球選手になる宮崎敦次投手が入学。その年の山口大会で11年ぶりに夏の白星を挙げた。翌2009年にはスクールカラーでもある緑色のユニホームを、赤と青を基調とした縦縞に一新。「県大会制覇」を掲げる第2章へと突入した。

 さっそく最速110キロの直球と超スローカーブを武器とする1年生エース・大槻陽平投手を軸に、夏の山口大会で8強入り。3回戦ではシード校で優勝候補の一角だった強豪・下関商業を破る番狂わせを起こした。以降、夏の山口大会での初戦敗退はなし。新興勢力の筆頭として力をつけ、2017年には悲願の甲子園初出場を果たした。

 4年前の取材時、坂原監督はチームが勝てない頃から「弱者が強者に勝つ」精神を貫いていると語った。監督就任当初から熱心に耳を傾けてくれた、春夏通算4度の甲子園出場を誇る山口県の名将・山崎康浩監督(南陽工業)からの教えだ。

 小、中学時代に素晴らしい成績を残した選手が入部せずとも、下関国際を選んだ選手たちをいかに鍛え上げ、勝利に導くか。この精神でチームは急成長。そして今回、絶対王者・大阪桐蔭との激闘を制した。下関国際が辿ってきた足跡は、勝てずに諦めかけている野球部の“希望の光”となるだろう。20日の近江(滋賀)との準決勝でどんな戦いを見せてくれるか、注目される。

(喜岡桜 / Sakura Kioka)

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