プロ野球界と距離置いた”第2の人生” 元首位打者が物流会社でイキイキ働くワケ
韓国から帰国した58歳の時に転機…人生100年時代を見据えた決断
正田氏は市立和歌山商から新日鉄広畑に進み、1984年のロサンゼルス五輪では日本代表の主力として金メダル獲得に貢献、同年のドラフト会議で広島に2位指名されて入団した。だが、1年目は打率.180で終わり、当時の古葉竹識監督の勧めでスイッチヒッターに挑戦。内田順三コーチのマンツーマン指導による猛練習で技術を習得し、1987年、1988年に2年連続首位打者に輝いた。俊足、好守にも定評があり、1989年には盗塁王、二塁手でベストナインを2度、ゴールデン・グラブ賞を5度受賞。1998年の現役引退後は広島、阪神などでコーチを務め、2015年から2019年までは韓国球界で指導していた。
転機は58歳で韓国から帰国したとき。「これからどうしようかって、ある人に相談したら、やめろ、野球から距離を置けって言われた。65歳とかになってユニホームを着てコーチができるかって。そんな人、何人いるかって。それなら一生懸命(新しい)仕事を覚えて頑張ったらいい、今からなら間に合う、野球は空いてる時間に教えればいい、そのほうが生活は安定するってね」。人生100年時代といわれるなか、先を見据えて、継続して長く働ける環境を求めた。敢えてこれまでとは違う道を選択したのだ。
「ずっと野球しかやっていなかったんで、ある意味、いろいろすごい新鮮だった」。業務は夜勤、昼勤、いずれもあるが、そのサイクル、生活リズムにもすっかり慣れたという。もちろん、選手のときに練習で培った精神力、体力を含め、すべてが今に役立っている。「コーチをやっているときは、もしクビになったらどうしようって考えていたものだけど、今はそういうプレッシャーもない。仕事が休みの日も何か予定が入っている。野球教室もそうだし(元広島、ロッテ、阪神の)高橋慶彦さんとのトークショーとかも楽しいよ」とまた笑みがこぼれた。そんな正田氏には、現役時代で忘れられない対戦相手がいるという。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)