ビエイラら育成、ブラジル野球を変えた日本人 2度の夜逃げも…異国での壮絶人生

巨人のチアゴ・ビエイラ【写真:荒川祐史】
巨人のチアゴ・ビエイラ【写真:荒川祐史】

U18W杯にも11人が出場…ヤクルトアカデミーの校長を務める佐藤允禧さん

 地球の裏側に“日本の野球”が浸透していた。世界ランキングは20位台と決して高くないが、松元ユウイチ・現ヤクルト 作戦コーチや、昨年NPB最速となる時速166キロを計測した巨人のチアゴ・ビエイラ投手などを輩出したブラジル。彼らを育てたのはサンパウロのヤクルトアカデミーで校長を務める日本人・佐藤允禧(みつよし)さんだ。16歳でブラジルに渡った佐藤さんは、異国の地で2度の“夜逃げ”も経験。生きていくために選んだ選択肢が野球だった。

 9月9日(日本時間10日)から18日(同19日)にかけて行われた18歳以下の野球世界一を決める「第30回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ」(米フロリダ州・ブラデントン、サラソタ)で、ブラジルは初戦の南アフリカ戦、次戦のカナダ戦と逆転勝利し好発進を飾った。惜しくもオープニング(予選)ラウンド4位で姿を消したが、劇的勝利の連発に球場が沸いた。

 ブラジル野球連盟にも所属し、今大会でTC(テクニカルコミッショナー)として運営に携わる佐藤さんは、「仕事なので。ニュートラルな気持ちです」としながらも、「もう少しだったね」とスーパー(決勝)ラウンド進出を逃したブラジルチームを惜しむ。それもそのはず。出場20人のうち、11人がヤクルトアカデミー出身。教え子たちの活躍を願わないはずがなかった。

 まだ戦後復興中の1957年、当時11歳だった佐藤さんは一家で移民として日本を出た。最初に住んだのはボリビア。当時日本が作ったコロニー(入植地)に移ったが、最大都市のサンタクルスからは100キロ離れた未開の地だった。「1家族につき25ヘクタールの土地を渡されてね。全くの原始人ですよ」。将来性を感じることができず、3年後に一家で隣国・ブラジルに夜逃げした。引っ越し荷物を持ち、観光ビザで国境を渡った。

ブラジルで2度目の夜逃げ…野球が上手くなれば「街に出られる」

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY