巨人ドラ1・浅野翔吾がみんなに愛される理由 見守った人達の想い「僕たちのスター」
原監督が長嶋氏と比較され続けたように、浅野にも苦難が待つ?
また、今夏の佐久長聖との甲子園初戦で、3ラン本塁打を放った本田倫太郎内野手は、ドラフト当日の様子を「(浅野とドラフト会議について)詳しく話すこともなく、普段通りの話をしていることの方が多かったです。浅野はいつも通りだったので、僕らもいつも通り接していました」と振り返る。さらに「バケモノです。ドラフト1位にふさわしいくらい良い選手ですし、僕らからしたら、最初からスターでした」と浅野を称賛。プロの世界でも「日本を代表するくらいの選手になってほしいです」と期待を込めた。
記者会見場で、浅野の背後にあった「バックボード」にも多くの人の想いが込められていた。校章と野球部のマークがデザインされた布製のボードは、浅野を含む500人以上の生徒が家庭科の授業などで刺繍し、地域企業の力も借りて完成させたものだ。多くの人に愛される浅野の人間性について、長尾健司監督は「そこは心配しておりません」と言い切る。
恩師は、浅野がプロで壁にぶち当たることも想定している。例に挙げるのは、浅野をくじで引き当てた原辰徳監督だ。1981年の入団時から「4番・三塁」の先輩にあたる長嶋茂雄・終身名誉監督と比較されながらのプロ生活を送った。長尾監督は「当然うちの浅野翔吾も、同じような苦しみに出会うだろう」と、苦難の道を予想しながらも「ぜひ原監督に一言、その経験をアドバイスいただければ、(浅野が)壁を乗り越えていくのかなと思っているので『どうぞよろしくお願いします』っていう気持ちです」と、今後の成長を信じている。
18歳で、初めて地元を離れる。浅野は「東京ということで、少し離れて寂しいんですけど、帰って来られるときにはしっかり帰ってきて、地元の友達だったり、お世話になった方たちにあいさつとかはしっかりしたいなと思っています」。都会に染まりきることなく、郷土愛を貫く選手であってほしい。さらに世代を代表する選手として日の丸を背負い、長く活躍することを高松の皆が、楽しみにしている。
(喜岡桜 / Sakura Kioka)