甲子園V投手を“強引”な野手転向で開眼 巨人V9戦士の運命を変えた名将の慧眼

ヤンキースの英雄、ミッキー・マントルに憧れた少年時代がスタートも…

 なぜスイッチだったのか。転向指令の際の川上監督と柴田氏のやり取りを再現する。

「柴田、中学では左で打っていたことがあると聞いているが、そうなのか」(川上監督)

「ちょっと遊びで振ってました」(柴田氏)

「じゃあ、スイッチヒッターに挑戦してみろ」(川上監督)

 柴田氏は中学生の時、たまたま映画館のニュースで米大リーグの両打ちの大砲ミッキー・マントル(ヤンキース)を見た。憧れて「左打席」を1か月間だけ練習した。入団交渉では中学時代の監督も同席しており、川上監督は情報を耳にした。

 川上監督は就任1年目の61年、米国でドジャースと合同キャンプを実施。そこには快足の両打ちモーリー・ウィルスがいた。リードオフマンを欲しており、柴田氏に「日本のウィルスになれ」と目標を示した。もっとも柴田氏の方は「誰なんだろう。マントルなら知ってるけど」と戸惑いのスタートだったのだが。

 それでも柴田氏は驚異的な対応力で左打ちも身に付け、2年目の5月にはセンターのレギュラーを確保。以降も走攻守3拍子揃った名手として巨人9連覇に欠かせぬ存在となった。「肩を壊したのが良かったのか悪かったのか。川上監督に言われなかったら、スイッチはない。ピッチャーをやってますよ。分岐点でした」。野球人生を変えてくれた恩師の慧眼にただただ感謝する。

(Full-Count編集部)

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