10四死球でも敵将脱帽「世代No.1」 大阪桐蔭のエース左腕が見せた“逃げ切り劇”
敵将も脱帽「さすがの投球でしたね」次は広陵と決勝戦
味方打線が6回に一挙3点を奪い逆転すると、前田はこれに呼応し7、8回を3人ずつで片づける。8回1死からは、まず代打の登藤海優史内野手(1年)を3球三振。続く9番の右打者・濱田大輔外野手(1年)に対しては、カウント3-2から133球目に当たる144キロ速球を内角低めいっぱいに決め、見送り三振に仕留めた。「7回からしっくりきて、これだと言うものをつかめました」と前田は言う。
敵将の仙台育英・須江航監督は「さすがの投球でしたね。バッテリーがお互い慎重になり過ぎて球数がかさみ、いらぬ四球が非常に多かったけれど、130球を超えてから自分のベストボールを持ってこれるのが“世代ナンバーワン”たるところだと思います」と脱帽した。
投手たるもの、登板する全試合で好調というわけにはいかない。長丁場のプロとなれば、なおさらである。不調でも試合を壊さず、なんとか建て直す前田の粘り強さは、プロから見るとますます魅力的に映るだろう。9回はさすがに疲れが見え、2点を奪われ1点差まで詰め寄られたが、最後は2死一、二塁で途中出場の住石孝雄内野手(2年)を外角低めの141キロ速球で見逃し三振に仕留め、とうとう投げ切った。
人生最多の球数を投じた後も、前田は「いつもと変わらない。特に疲れはありません」と、どこ吹く風。西谷監督も「最後はバランスよく投げていたし、(23日の決勝までには)1日空く。これくらいの準備はしてきたと思います」と、球数に関しては危惧していない。この秋から背番号1を付け主将まで務めるチームの大黒柱が、新チーム結成後“1冠目”を取りにいく。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)