「どうすれば阪神に残れますか?」 禁断の“トレード拒否”を模索…思い知った現実

阪神、オリックスでプレーした野田浩司氏【写真:共同通信社】
阪神、オリックスでプレーした野田浩司氏【写真:共同通信社】

移籍先で頭に浮かんだ巨人…実際はオリ松永とのトレード通告

 阪神・野田浩司投手とオリックス・松永浩美内野手の電撃トレードは1992年の年の瀬に成立した。1987年ドラフト1位で入団して1991年には開幕投手も務めたプロ5年目の有望右腕とサイクル安打や日本人初の左右打席本塁打などを記録した最強スイッチヒッターの交換だけに、大きな話題になったが、そこにたどり着くまでにはいろいろ……。当事者の一人である野田氏は通告を受けた後、まず最初に断る方法を模索したという。

 野田氏は芦屋市内のホテルで阪神・三好一彦球団社長から松永とのトレードを通告された。覚悟はしていた。「嫁さんと旅行に行って、帰ってきたら球団からの留守番電話が何件も入っていた。最初は(中村勝広)監督と会ってくれだったんで、来年は抑えの腹づもりで自主トレをやってくれって話かなと思っていたんですが、監督に電話したら『会う人が社長に変わったから』と言われて、うわっ、トレードやって思ったんです」。

 そこからいろいろ考えた。行き先として頭に浮かんだのは巨人だった。「どこだったかは忘れましたが、阪神が(巨人内野手の)岡崎(郁)さんを獲りに動いているって報道があったんです。打線強化のためにね。相手が僕とは書いてなかったですけど、そういうこともあるのかなってね」。芦屋市内のホテルまでの道中でも、そのことが頭にあったという。「ホテルには嫁さんも行くわって一緒に車で行った。社長と会っている時、嫁さんは車で待っていましたけどね」。

“予想”は外れてトレード先はオリックス。「ショックな半面、頭の隅っこには同じ関西圏で良かったというホッとした部分はありました。でも、その時は行くつもりなどありませんでした。まずは断ることしか考えていなかった。正直、断れるんじゃないかとも思っていた」。通告後、西宮市内の自宅に戻って、中村監督と電話で話した。「監督からも社長と同じ感じの話でした。申し訳ないけど、今年は打線が弱かったので、みたいな」。

当時、労組プロ野球選手会会長だった岡田彰布氏に相談した

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