トイレでまさかのトレード成立「ここなら大丈夫」 元オリ右腕・野田浩司氏、拒んでいた移籍が導いた“栄光”
野田浩司氏の自宅に押し寄せた報道陣…情報漏れぬようトイレから連絡
トレードが野球人生を好転させた。1987年ドラフト会議で阪神に1位指名された右腕・野田浩司氏は1992年オフ、オリックスに移籍した。史上最高のスイッチヒッターと呼ばれた松永浩美氏との1対1の交換で、その後、野田氏は最多勝のタイトル獲得、1試合19奪三振の日本記録達成、リーグ制覇や日本一にも貢献……。振り返れば大きなプラスをもたらしたが、移籍通告を受けた時は拒否したかったのを泣く泣く断念しての承諾だった。それも思わぬ場所で返事していた。
阪神・三好一彦球団社長から芦屋市内のホテルでオリックスへのトレードを通告された野田氏は、返事を保留して西宮市内の自宅に戻った。何とかして断る方法はないか。それだけを考え、当時、労働組合日本プロ野球選手会会長だった岡田彰布氏(現阪神監督)に相談。いろいろ検討してもらった結果、拒否は難しいと判断せざる得ない状況を知ったが、まだ結論は出せない状況で一夜が明けた。だが「どうしようか」と考えるより前に、報道陣が朝から押し寄せてきた。
「午前8時頃からピンポンピンポンでした。きのう通告されて、阪神に返事もしていなのに、何で知っているんだろうと思ったら『松永さんが言っている』って」。これに野田氏はもう返事するしかないと思ったという。そんな中、気になったのが「球団に電話している声が外に聞こえるんじゃないか」ということだった。「変な話、家の壁の3、4メートル先に報道陣がいましたからね。聞こうと思ったら、絶対聞こえますから」。
隣の声も聞こえてくるくらいの構造だったそうだが、それほど、このトレード問題に関しては神経過敏にもなっていたということだろう。「普通に家でしゃべっていると聞かれると思った。聞き耳を立てていれば、わかると思った」。そこで野田氏はトイレに入ったという。万全を期した。「ここなら大丈夫だろうと思ってね。トイレで三好社長と話をしました。オリックスに行きますと返事をしました。あそこで成立となりましたね」。