台湾プロの新球団「台鋼」に元西武2軍監督が入団 全6球団で日本人コーチが指導
台湾で最多勝も獲得した横田氏…西武では台湾選手のケアも
2002年、阪神から戦力外通告を受けると、兄弟エレファンツ(現・中信兄弟)に入団。すでに35歳でフィジカルは万全ではなかったものの、制球力とフォークで三振の山を築いた。初年度の2003年、キャリア最多となる164回2/3を投げ、16勝でリーグ最多勝。現在もチームのシーズン記録として残る13連勝も記録した。翌2004年も140回1/3を投げ9勝を挙げたが、同年限りで現役引退。球団から要請を受け、翌年から2年間投手コーチを務めた。スタイルの良さ、温厚な人柄で、台湾のファンの人気も高かった。
BCリーグ(当時)富山の指導者を経て、2012年から古巣の西武に復帰。1軍投手コーチに就任した2015年には、台湾から郭俊麟(現・富邦ガーディアンズ)が、2軍監督に就任した2016年には「C.C.リー」こと李振昌(現・中信兄弟)が入団した。2人にとっては、台湾の事情を熟知し、中国語でやりとりできる横田氏の存在は大きかったようで、「本当にお世話になった」と口を揃えている。李振昌に至っては、2018年、台湾プロ野球のドラフト会議で中信兄弟から1位指名を受け入団すると、感謝の思いを伝えたいと、横田氏が兄弟時代につけた背番号「34」をわざわざ選んだほどだ。
劉GMは、チームづくりの要といえる投手コーチに横田氏を招聘した理由として、「西武において2軍監督、1軍投手コーチのほか、ファーム・育成グループでディレクターを務め、選手育成において豊かな経験をもっている」と説明。10代後半から20代前半の選手が大部分と、若い台鋼投手陣の育成に最適の人材だと強調した。劉GMはさらに「台湾で選手として活躍し、指導者も務めた点は得難い。どうやって台湾の選手たちとコミュニケーションをとり、指導するか知っている」と述べた。
交渉の過程では、選手、指導者として長年在籍した西武に対する横田氏の思い入れの強さを感じたというが、同時に横田氏には、選手、指導者として重要なキャリアを積んだ台湾への恩情もあったようだ。悩み抜いた末、最終的にオファーが実ると、劉GMはすぐさま渡辺久信GMに電話を入れたという。