ブルペンに来ない捕手、サイン見えずに動揺…“甲子園の女神”に見放された大投手の不運
試合前のブルペンに捕手が一向に来ず…準備不足で立ち上がりに失点の不運
3年夏は1回戦で、後に近鉄入りする山口哲治投手を擁する智弁学園(奈良)に1-2で負けたが、これにもまさかの出来事があった。「試合前にブルペンに行ったら、いつまでたってもキャッチャーが来なかった。なぜかわからなかったけど、呼んでもこなかった。だいぶたってから、外野手が普通のグラブを持ってきて、やっと始めた。その後にキャッチャーが来たんだけど、明らかにウオーミングアップ不足で、1回と2回に1点ずつ取られた」。
星稜ブルペンの“異変”を当時の智弁学園・高嶋仁監督はきっちり見ていて、点を取るなら早い回しかないと考えていた、といわれている。3回以降、小松氏は立ち直ってゼロに封じたが、星稜打線も智弁学園・山口を攻略できなかった。それだけに、悔やまれる序盤の失点。すべての面で流れが悪かったわけだ。
夏が終わり、新たなステージへ。1977年11月22日に行われたドラフト会議では、中日から2位で指名されたが、これには憤慨した。その日の夜、中日スカウトからの電話に「もう来ないでください」と言い切った。大騒動になった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)