日米の野球をつないだ「2人の開拓者」 伝説の選手が中日に…愛犬の名前は「ゴンドウ」

メジャーリーガーが日本でプレーする“時代”の始まり

 1962年、ニューカムは投手としては1試合登板にとどまった。打者として81試合に出場し打率.262、12本塁打。ともに中日入りしたドビーは72試合で打率.225、10本塁打の成績を残した。

 2人の中日入りは「MLBで地位を確立したメジャーリーガーたちが、日本のプロ野球でキャリアを延長するという新しいトレンドの始まりでもあった」と指摘する。ドビーとニューカムは、その後多くメジャーリーガーが日本にやってくる“道”を作ったのだ。

 さらに記事は、「2人の日本移籍は、黒人選手が日本の野球に影響を与えてきたという歴史的な流れを継続した」としている。ドビーは1947年にインディアンスと契約し、これはジャッキー・ロビンソンに続く黒人2人目のメジャーリーガーで、ア・リーグでは初だった。

 ドビーとニューカムの中日での選手生命は1年で終わったが、2人は日本の生活から大きな影響を受けていたという。ドビーJr.氏は、「父が日本人形や着物、下駄をたくさん持って帰ってきたよ」と証言しており、さらに「ドラゴンズのヒロシ・ゴンドウ(権藤博=元横浜監督)投手にちなんで、家で飼っているシェパードを“ゴンドウ”と名付けた」と笑った。権藤氏は2人とチームメートだったこの年30勝17敗、防御率2.33という驚異的な成績を残している。

 その後、ニューカムはドジャースのフロントで働き、ドビーは1978年、ホワイトソックスでMLBで2人目の黒人監督となり、1998年には野球殿堂入りも果たしている。2人の「開拓者」は、日米の野球をつなぐ架け橋となった。

(Full-Count編集部)

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