突然の命令に「クビになるかも…」 帰国拒否も「お前、帰って来い」揺れたNPB復帰
1Aで2桁勝利の活躍…V争いしていた星野監督から帰国指令
1988年8月、星野仙一監督率いる中日はセ・リーグ首位を快走していた。そんななか、ドジャースに留学していた山本昌氏は日本に呼び戻された。リーグ制覇に向けて、さらに戦力を底上げするためだった。1Aのオールスターゲームに出場するなど、米国で急成長した左腕は日本でも話題になっていた。3月のベロビーチキャンプでは現地でのオープン戦に1試合も投げさせてもらえなかったのが嘘のような期待度の変化ぶり。だが、この「帰って来い」指令に、最初は「嫌です」と断ったという。
「ヤマ! 星野が帰って来いって言ってるぞ」。アイク生原さんにこう言われても、山本氏は首を縦に振らなかった。所属していた1Aベロビーチは前期に優勝し、9月1日から始まるフロリダ・ステート・リーグのプレーオフ出場権を得ていたし、自身もそこまで13勝をマークして、その時点では最多勝。最後までやり遂げたかったからだ。
理由はもうひとつある。「日本に帰って監督やコーチに叱られるのは嫌だなとも思っていた。それに、アメリカで頑張ったまま終わったら、少なくとも次の年は契約してもらえるはずでしょ。でも戻って打たれたら、やっぱりこんなもんかってクビになるかもしれない。5年目なんで一番危ない。アメリカではやれたけど、ここは4軍。日本では通用しないと思っていたのでね」。翌年、中日で勝負するために、確実にプレーするために考えたことでもあったわけだ。
アイクさんは「そうか」と言って、その日は帰ったという。すると次の日、山本氏の部屋の電話が鳴った。「女性のオペレーターが早口で何を言っているのかわからなかった」が、その後、電話の相手が変わった。「『星野だ』って言われて『はい』ってなった。『お前、帰って来い』と言われて『はい、帰ります』って答えた。もうしょうがないよね。本人から言われたら。きっとアイクさんが僕の気持ちを伝えていたんだと思う」。これで帰国が決まった。