忘れられぬ教え子の死「ショックだった…」 コーチ就任を決断させた電話でのやりとり

高代延博氏【写真:山口真司】
高代延博氏【写真:山口真司】

原監督からコーチ就任を打診された木村さんに“助言”

「決めるのはお前だけど、どうなん?」

「あと1、2年やりたいんです」

「人間ってタイミングあるから、そう言ってもらえるんだったら、そのタイミングでコーチを受けるのもクレバーな考え方だと思うよ。あくまでも言うけど、決めるのはお前やぞ、俺は言えん」

 木村さんは「また電話します」と言って、電話を切った。すると5分後にまたかかってきた。「コーチ、やります」と。高代氏は「『ところで、どこにいる』と聞いたら『今、原監督と飯食っています』と言うから『先、言えよ、よろしく言っといて』って。そう言うやりとりがあったんで……」と表情を曇らせた。

 2010年4月2日、巨人の1軍内野守備走塁コーチだった木村さんは、マツダスタジアムでの広島戦前のシートノック中に突如、倒れた。クモ膜下出血と診断され、緊急入院となったが4月7日、帰らぬ人となった。当時、高代氏はハンファ・イーグルスの総合コーチを務めており、韓国にいた。「ショックだった」。まさか、なぜ、どうして……。広島選手時代の木村さんのことが思い出された。ひたむきに練習を繰り返した日々のことが……。

 2009年11月に恩人の三村さんが亡くなり、翌2010年4月に今度は教え子の木村さんが、この世を去った。わずかな期間に高代氏にとってつらすぎる出来事が続いた。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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