高3夏に「もう野球やめる」 先発100勝&100セーブ、後の大エースが歩いた“回り道”
前広島監督の佐々岡真司氏は先発で100勝、救援で100セーブの偉業を達成した
赤ヘルの大黒柱が1勝するたびに鯉のぼりが上がった。1991年は17匹も泳いでいた。島根県那賀郡金城町(現・浜田市)。「ウチの家が民宿で隣が鍼灸院。その先生がそこの駐車場に上げてくれていた。鯉のぼりが足りんからみんなから借りたって言っていたね」。先発も抑えもこなした。1シーズン中に先発→抑え→先発のハードな配置転換を経験したこともある。それでも佐々岡真司投手は黙々と投げ続けた。子どもの頃から大好きなカープのために……。
現役時代に頼れるエース、頼れるストッパーとして活躍した前広島監督の佐々岡氏は、2006年5月4日のヤクルト戦(神宮)で先発100勝目をマークした。「その前の(先発)試合(4月28日の横浜戦、横浜)で勝っている状況でリリーフした(高橋)建が打たれて、僕の勝ちがなくなった。建がすみません、消してしまってって言っていた。すぐ次の試合で先発100勝できて、建がほっとしていたのを覚えているね」とサラリと話したが、この白星で江夏豊氏以来、2人目の先発100勝&100セーブの偉業を達成した。
100勝100セーブも大変な記録だが、その上を行くものだ。スーパー投手でなければたどりつけない領域といってもいいだろう。体が頑丈でなければ、先発、抑えの両方をそこまでこなすことは無理。しかも佐々岡氏の場合は、その2つの仕事を交互にやったこともあった。現在では考えられないこと。それでいて、プロに入って肩、肘の大きな故障で長期離脱したことは一度もなかったのだから恐れ入る。「まずは丈夫な体に産んでくれた母親に感謝ですね」と話した。
そんな佐々岡氏のここまでの野球人生は決して順風満帆だったわけではない。高校は浜田商。「2年秋の(島根)県大会準決勝で大田に延長15回0-1で負けた。それに勝っていたら、中国大会とか、もしかしたら、選抜の道もあったけど……」。エース・佐々岡はひとりで15回を投げきったが、勝てなかった。さらに、もう一度、鍛え直すつもりだった大事な冬の練習もまともにできなかった。学校の体育の授業で右足を負傷したからだ。