拒絶許されぬ絶対命令「『はい』しかない」 振り回され続けたルーキーイヤー
佐々岡真司氏は1年目の1990年に13勝11敗17セーブの記録を残した
スーパールーキーの登場だった。元広島投手の佐々岡真司氏は1年目から大活躍した。1990年4月12日の大洋戦(横浜)で初先発、初完投勝利の鮮烈デビュー。シーズン途中からは先発からいきなり抑えも任され、17試合連続セーブポイント(当時のプロ野球記録)をマークした。さらに8月下旬から再び先発に戻り、13勝11敗17セーブとまさにフル回転だ。だが、スタートは不安しかなかった。キャンプのブルペンで厳しさを痛感したという。
当時の広島投手陣は強力だった。北別府、大野、川口、長冨……。「練習もきつかったけど、それよりブルペンでね。僕は北別府さんとか、大野さんとか、川口さんとかとは別に1.5軍くらいのピッチャーと一緒に投げたんだけど、その人たちの球を見て、こういう球を投げてても1軍に上がれないのかと思った。何かとんでもない世界にきたなっていうのが最初でしたね」。日本代表で野茂英雄や与田剛の球に驚いたのに続いての衝撃だった。
「緊張もしているし、これで本当にやっていけるのかな。そう考えながらのキャンプでしたね」。そんな中、必死に食らいついた。「オープン戦で先発して無死満塁のピンチを作ったけど、3者三振だったか、ゼロに抑えた」。この度胸満点の投球に山本浩二監督が「ええ根性している」とうなり、シーズン途中にストッパーを任されることになるのだが、とにかく、この時は1軍に生き残ることだけを考えてプレーしていた。結果、先発5番目の座をつかみ、いきなり完投勝利をマークした。
5月から抑えに回り、5月9日のヤクルト戦(神宮)では1-0で先発・北別府からバトンを受け、2回無安打無失点でプロ初セーブ。「浩二さんに抑えをやれって言われた時は、ただびっくりしたというかね、なんで僕なんだろうって思ったけど、監督に言われたら『はい』しかない。もう、やったろうっていうことぐらいしかなかったよね」。実際、それは投球に表れていた。ボールに気持ちが入っていた。