「歩けない状態」から僅か8日後にノーノー達成 大記録の裏にあった忘れられぬ体験
1999年5月8日の中日戦でノーノー…8日前には左足を痛めて降板していた
モデルチェンジして挑んだプロ10年目の1999年に15勝をマークした。新しくシュートも覚えたのもプラスになった。「カーブやスライダーピッチャーのイメージから、やはりスピードも落ちてくる中で、横の変化をということで、シュートをね。キャッチボールで遊び感覚で投げて、ちょっとものにできるかな、とブルペンで投げ始めたのが98年のオフ。握りも独自のものだけど、それが1999年から使えるようになった」。
5月8日のノーヒット・ノーラン前には高野山別格本山「清浄心院」の池口恵観大僧正にも助けていただいたという。佐々岡氏は4月30日の阪神戦(甲子園)に先発し、3回無失点で降板した。試合中の負傷が原因だった。「左足だったと思う。捻挫じゃないけど、足首が固まって歩けなくなったんです」。ホテルに戻るとヘッドコーチの大下剛史氏から「お前、先生にみてもらえ。そのまま広島に帰っていいから」と言われた。「次の日、池口先生が京都から来てくれて、大阪のホテルの部屋で朝からずっと足に念を入れてくれたんです」。
護摩行などで広島・新井貴浩監督や元阪神監督の金本知憲氏らとも関係が深いことで知られる池口大僧正とは佐々岡氏も大下氏や元広島監督の三村敏之氏とのつながりで、お世話になっていた。「あの日は夕方には歩くことができるようになり、広島に帰りました。次の登板もローテーション通りにいった。それがノーヒット・ノーラン。何か不思議な……」。偉業達成に直結した忘れられない出来事だ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)