WBCで転換期を迎えた“日本野球” 大谷&ダルらがもたらした「ベースボール」の本質

学生野球の父・飛田穂洲さんが残した「無私道」という言葉が持つ意味

「野球」と「ベースボール」はもはや“違うスポーツ”とも言われてきた。野球は日本の生活、時代背景といった文化の中で独自の発展を遂げてきた。そのため、根性論や根拠のない古い慣習にも悩まされきた歴史もある。ただ、今回の侍ジャパンにはこのような堅苦しさはない。怒号や罵声、憎しみなんてものも存在しない。自分のことよりも、仲間を思う気持ち、野球をシンプルに楽しむことが選手からにじみ出ていた。本来の力が発揮できない選手がいても、それを静かに見守り、信じ続ける監督、コーチ、仲間がいた。

 栗山監督は決勝ラウンドのために米国入りしてから、記者会見で海外のメディアに向けて、自身の野球観を伝えていた。学生野球の父といわれる飛田穂洲さんが残した「無私道」という言葉が指揮官の野球哲学だ。

「私を無くす道、と漢字で書きます。野球は最初『無私道』と表現されてやってきた。自分のことよりも、人のために尽くすという意味です。人と人の付き合い方だったりとか、礼儀であったりとか、そういったものを野球の中でやりながら、学んでいく文化が僕は野球にあると思っています」

 堅苦しく聞こえるかもしれないが、相手を思い、称える――。これも時代の流れとともに根付いた野球の一部分といえる。19世紀半ばに米国から伝えられた野球の真髄がこの令和の時代になっても、栗山監督の中で不変なものとして残っていた。人に尽くせるメンバーが揃っていたから、最高のフィナーレを迎えられた。

 野球に興味を持つ子どもは増えた。「僕はプロ野球の選手、監督をさせてもらった。本当にスポーツから人として大切なことを学んでいくものだと思う。子どもたちが選手に憧れて、その選手を見ている。自分の行動が、子どももやっていいかどうかというところも含めて、伝えようとしている部分もあります」と栗山監督。野球離れが深刻の中、そのような姿勢を見せることで、教えられる部分もある。世界最高峰のWBCという舞台から発信することができた。

 メンバーたちは日本の野球の“伝道師”として、任務を全うした。今回の優勝で「野球」は変わった。また新たなステージへ進んだ。スポーツマンシップに加え、ベースボールの本質でもある「楽しむ」要素を存分に吸収し、リーダーシップを持つメンバーがそれを体現した。野球は楽しい――。今回の侍メンバーの言動は、未来の野球界を明るく照らす。

(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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