不満ぶちまけたった15試合で監督辞任も…キャンプ前にスタメン確約「人生変わった」
1971年ドラ1で広島入団の道原裕幸氏は、ルーツ監督の信頼を得た
人との出会いで人生が変わることがある。元広島捕手で現在は広島大野寮(廿日市市)の寮長を務める道原裕幸氏にとって、元広島監督のジョー・ルーツ氏がそうだった。それは監督と選手の関係になる前。道原氏の入団1年目、インディアンス(現ガーディアンズ)のキャンプ地・米国アリゾナで行われた1972年春季キャンプでのことだった。ルーツ氏は当時インディアンスのコーチ。「その時にいろいろ教えてもらったんです」。その縁が後につながった。
道原氏は山口・桜ケ丘高から芝浦工大に進み、1971年ドラフト会議で広島に1位指名され、プロ入りした。「あの時、カープか近鉄って話だったんです。そしたらカープが近鉄より先の指名順だったので」。当時のドラフトは予備抽選で選択順を決めるやり方。その年の1番クジはロッテで、広島は4番クジ、近鉄は12番クジだった。道原氏は全体4番目での指名だったわけだが「2位以下だったら、プロに入ってなかった」という。
芝浦工大では3年時に東都大学リーグで優勝を経験するなど即戦力捕手として注目を集めたが「2位以下だったら社会人でやったほうがいいよって、社会人の人だったかに言われて、そう決めていたんです」。そんな中での広島1位指名だった。「近鉄は(ドラフト2位で浜田高の捕手)梨田(昌崇=現在は昌孝)を指名した。梨田ははるかにバーッといきましたよね」と話したが、道原氏も1975年に自己最多の75試合に出場。カープ初優勝に貢献した。
「初優勝はうれしかったですね。それまで3年間は最下位でしたから」。ルーツ氏は1974年に打撃コーチとして広島に入団。1975年に監督に就任した。「キャンプ前にルーツ監督から『今年は開幕キャッチャーよ』って言われたんです。プレッシャーでしたけど、その通り使ってくれたんです。開幕のヤクルト3連戦(神宮)は2勝1敗でした」。