中日最強の“落合・森コンビ”支えたコーチ 最初は「怒られてばかり」も…起きた変化
近藤真市氏はブルペン担当コーチとして落合竜を支えた
2004年から2011年まで中日の監督を落合博満氏が務めた。現役時代に本塁打王、打点王、首位打者の3冠王に3度も輝いた打撃の達人は、監督としても4度のリーグ優勝を成し遂げ、2007年には2位からクライマックスシリーズを勝ち上がり、日本シリーズも制覇した。そんな落合ドラゴンズ時代に、近藤真市氏は投手コーチを務めていた。「とても勉強になりました」。当時を振り返ってもらった。
高卒入団1年目の1987年にNPB史上初のデビュー戦ノーヒットノーランを達成した近藤氏は肩の故障もあって、1994年シーズン限りで現役を引退した。打撃投手兼スコアラーを経て1996年からスカウトに転身。NTT東海・岩瀬仁紀投手の獲得などに尽力した後、2003年に投手コーチとして再びユニホームを着ることになり、2004年からは落合監督の下で働いた。主にブルペン担当。ベンチ担当でメインの森繁和投手コーチにいろいろ教えてもらったという。
「森さんに最初はむちゃくちゃ怒られましたよ」。ブルペンで準備させる投手の人選について「誰を作っているんだ! 違うだろ、こっちだろ!」と連日、厳しい声を浴びた。「森さんは落合さんに僕を『教育しろ』って言われていたらしいです。ホント、教育係でした」。まさに勉強の日々。「ゲーム中に(ベンチの)森さんがこういうケースで何を考えているんだろうっていうのを、何パターンも考えるんです。データと相性、いろんなことを頭に入れながら、そういうシミュレーションをずっとしていきました」。
変化が起きたのは「4年が終わったくらい」だった。「森さんに『真市、どうする』って言われたんです、急に。どうするってことは、ああ認められたんだと思った」。近藤氏の考えを聞いた森コーチは「うん、わかった、それでいこう」。ようやくワンランク上がったと感じた瞬間だった。それ以来、相談しながらできるようになった。