批判された落合采配の“正解” 16年前に物議…元コーチが今でも後悔なき「決断」
ブルペン担当だった近藤真市氏は「岩瀬でいきましょう」
2007年、落合博満監督率いる中日は53年ぶり日本一に輝いた。レギュラーシーズン2位からクライマックスシリーズを勝ち上がり、日本ハムとの日本シリーズを4勝1敗で制した。11月1日、ナゴヤドームでの第5戦は山井大介投手と岩瀬仁紀投手による史上初の完全試合リレーでの決着となったが、山井の交代を決断した落合采配には賛否両論が渦巻いた。当時ブルペン担当コーチを務めていた近藤真市氏(現、岐阜聖徳学園大学硬式野球部監督)は岩瀬投入を進言したという。
「最初(投手コーチの)森(繁和)さんに『おう、どうする?』って言われたんですよ。僕は言いましたよ。『岩瀬でいいんじゃないですか、9回、岩瀬でいきましょう』ってね」。山井は8回まで日本ハム打線をパーフェクトに抑えていたが、右手中指の豆をつぶして、出血しながら投げていた。もちろん、近藤氏もその状態は知っていた。
「そりゃあ完全試合をやっていましたし、山井は僕がスカウト時代に担当した選手です。岩瀬も担当した選手です。やっぱり、そういう記録は作らせてあげたいという気持ちはありましたよ。僕も記録を作らせてもらいましたから」。自身も1987年8月9日の巨人戦(ナゴヤ球場)で初登板ノーヒットノーランという史上初の偉業を達成していただけに、状況はわかる。それでも、あえて「岩瀬投入」を主張した。
「53年ぶりの日本一ですからね。クライマックスシリーズで岩瀬は全部またぎで登板していたんですよ、8回途中から。あいつが投げて、勝ってきて、それで日本シリーズに出られたんです。ここに来られたのは岩瀬のおかげなんです。岩瀬でやられたらしょうがないだろうって僕は思ったんで『岩瀬でいきましょう』って言いました。大介も『岩瀬さんでいってください』って言ったんで、双方が一致した感じでしたよ」
山井の指の状態については「投げられないことはなかったと思いますよ、だって、あそこまで投げていたんですから」と近藤氏。「でも、落合さんも森さんも多分そう思ったと思いますけど、あれで山井でいってやられたら、たぶん日本シリーズは勝てないんですよ。岩瀬でいったら、選手は岩瀬さんでやられたら、しょうがないねって気持ちになる。切り替えができるんです。山井でいってやられたら、記録駄目だったね、では済まない。岩瀬さんを出していたら、どうだったのってなっちゃうんですよ」。