30点大敗チームが3年で“優勝4回”の強豪に 杉並中野ポニーが重視する「3つの指針」

試合形式の練習でナイスプレーをした後は大きな笑顔が咲く【写真:編集部】
試合形式の練習でナイスプレーをした後は大きな笑顔が咲く【写真:編集部】

杉並中野ポニーの軸となる3つの指導指針とは

 栄枝さんが指導者として大切にする3つの指針がある。「選手のために環境を整えること」「選手のための野球であること」「チーム全員に野球を愛する心とやる気を持たせる工夫をすること」の3つだ。

 毎年選手が入れ替わる学童・学生野球で勝ち続けるためには、選手に頼ったチーム作りではなく、選手がいい野球をできる環境を整えた方がいい。環境を整える際に忘れてはいけないのが「選手ファーストであれ」ということ。「子どもの野球に携わるのであれば、教員免許を持っていなくても、教育者でありなさいということですよね」と栄枝さんは言う。そして、やらされるのではなく、やる気満々で野球をするチームの方が楽しく、成長の後押しをする。

 この3つの指針を教えてくれたのが、学習院大時代の監督・田辺隆二さんだ。田辺さんは同大野球部OBで、1958年に東都大学野球リーグ1部で優勝した時の主将。社会人野球の三菱重工川崎(のちの三菱ふそう川崎)で活躍した人物でもある。母校の監督に就任した時は60歳を超えていた。

「どうせウサギ跳びをさせるか、逆に何もせずにただいるだけか、どっちかだろうと思っていたら、まったく違いました。3列編隊で掛け声を出しながら走っていたら『これはロボットの野球ですよ。何の意味があるんですか?』って。その日の体調を自分で考えながら、前を走っても後ろを走ってもいいと言われました。今でいうコーチングに近い考え方で、すべての練習に意味と意図と意志がある。この練習にはどういう意図があるのか。監督の考えを感じ取ることが、最初はものすごく難しかったのを覚えています」

「サークルみたいなものだった」という野球部が、田辺さんがもたらした自由ながらも頭をフル回転させる野球を実践するのは難しかった。部員から困惑や不満の声も挙がったが、必死で食らいついていくと、気が付けば公式戦で連勝続き。もう誰からも不満の声は挙がらなかった。

 もう1つ、田辺さんが教えてくれたのは「野球に対して真摯たれ」ということだ。監督就任直後のOB会で、田辺さんは東都大学野球リーグ1部で優勝を目指すと宣言した。当時の学習院大は3部に所属。OBから失笑が漏れると、田辺さんは「アマチュアがプロ意識を持ったっていいだろう」と言い放ったという。大学生であってもプロのように真剣な気持ちで優勝を目指してもいい。栄枝さんは「アレは響きました。そこにいた学生全員にグッと入りました」と振り返る。

考える野球で弱小から常勝に変身

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