スピードガン以前に非公式の「155キロ」 自慢は超爆肩…高校で驚きの“異常行動”
鈴木孝政氏は1970年代に非公式ながら155キロを計測した剛球投手
うなる快速球。スピンの効いたスピードボールで打者をキリキリ舞いさせた元中日投手の鈴木孝政氏は、1970年代に非公式ながら球速155キロを計測した快速球投手だった。千葉県山武郡蓮沼村(現・山武市)出身。成東高時代は甲子園出場ならずも知る人ぞ知る右腕で、1972年ドラフト会議では全体2番目で中日に1位指名された。当時のセ・リーグで最も速いと言われていた“元祖・速球王”の野球人生をプレーバックする。
「155キロは新聞報道で知りました。小さい記事。移動の電車の中で見て、オーってね。ノーラン・ライアンの100マイル(約160.9キロ)まであと5キロだって思ったのを覚えている。プロ3年目くらいだったかなぁ。自分でも速いなって思っていたころだよね」
鈴木氏は懐かしそうに振り返った。スピードガンが普及していない時代に広島市民球場で関係者が計測していたという。本人は測られているなんて思ってもいなかったそうだ。
「俺の場合、どっちかというと快速球だよね。剛速球じゃなくてね。自分の意識の中ではスピードガンっていうのは初速と終速で全然違うわけね。でも俺の場合は初速も終速もあまり変わらなかったんじゃないかって思っている。回転数は絶対いいはず。今のトラックマンみたいに分かればねぇ。俺の回転数を知りたかったよねぇ……」
とにかくスピードボールで有名だった。幼い頃から、その片鱗はあったそうだ。「遠投力がすごかった。石投げだって、何投げだってね」。