「年齢違反じゃないのか」 辛辣ヤジも…腐らず全うした“34歳の2軍開幕投手”
鈴木孝政氏はプロ17年目の1989年に2軍開幕投手「痛快な3イニング」
中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏はプロ17年目の1989年シーズン限りで現役を引退した。「バッターはごまかせてもボールはごまかせない」。10月7日の引退発表会見ではそう口にした。若い頃は150キロ超えの快速球で打者を封じ込んだ。右肘を故障してからはストレートの緩急などで打者を打ち取るスタイルに変身して結果を出し続けた。現役ラストイヤーも3勝4敗。プロ1年目以外は毎年、勝ち星を挙げた。
最後のシーズンは2軍開幕投手からスタートした。「甲子園で阪神戦だった。先発を言われた時は(2軍投手コーチの)稲葉(光雄)さんに『それはないでしょ、投げなきゃいけないヤツがいっぱいいるじゃないですか。こいつらを投げさせてやってくださいよ、何とかしてくださいよ』と頼んだけど『上の監督命令だから』って」。試合になると阪神ベンチからヤジられたという。
「『おい年齢違反じゃないのか』とか『コーチが投げちゃあいかんでしょ』とか冷やかされた。2軍だから丸聞こえ。でも、しょうがないと思った。ホント、投げる年齢じゃないもんね」。一切、反応することなく、ただ一生懸命、投げた。「俺の野球に対する姿勢を見せてやろうと思って投げた」という。結果は3回無失点。「ピシャッと抑えた。2回からはヤジが止まったからね。痛快な3イニング。もう最高だったね」。
その後も2軍で投げていたが、5月に1軍に呼ばれ、星野監督のところに行った。「そしたらね、監督に『お前はもうどんなことがあっても2軍に落とさないから』って言われた。これもショックだった、こんな競争の世界で何があっても2軍に落とさないって大将に言われてショックだった。やめなきゃいけないって方向に持っていかれたような気がした」。それでも、やれることはきっちりやった。6月には2勝をマークした。だが、置かれている立場を考えると、やはりやめるしかなかった。