ヤクルト石川雅規が盟友に伝えた「野球辞める」 1度だけの決心と「本気の顔」

2015年のヤクルト優勝時にビールかけで喜ぶ石川(左)と志田スコアラー【写真:本人提供】
2015年のヤクルト優勝時にビールかけで喜ぶ石川(左)と志田スコアラー【写真:本人提供】

1人で早朝からグラウンド整備…「おはよう」に返ってきた言葉

 その夜は眠れなかった。毎朝5時から、1年生はグラウンド整備を行う。翌朝、複雑な気持ちを抱えたまま眠い目をこすって早めにグラウンドに行くと、石川は既に1人で整備を始めていた。「おはよう」と声を掛けると、返ってきたのは「辞められなかった。今日1日野球やってみるわ」という言葉。「あの日から25年以上、石川はいまも野球を続けているんですよね」と感慨深げだった。

 その後の石川の歩みは順調だった。1年秋からリーグ戦に登板し、2年でエースになり、3年時には日本代表としてシドニー五輪に出場した。そしてプロの世界でも球史に名を刻んでいった。“あの夜”のことを、志田氏はそれ以上深く聞いたことはない。それでも「あの日、もし石川が本当に逃げていたらどうなっていたんだろう、俺は何であの時止めなかったんだろう、ってたまに思い返すんです」というのは当然のことだろう。

 実は2人の出会いは大学ではない。岩手県出身の志田氏は仙台育英高3年時に、秋田商に凄い投手がいるという話を耳にしていた。練習試合で対戦すると全く打てずに驚いたのだという。高3夏の甲子園で再会。野球部を引退すると、お互いのポケベル番号を交換して青学大入学前から連絡を取り合っていた。「同じ東北人で気心が知れている存在でしたね」というように、同期の中でもとりわけ仲が良かった。そんな相手にだからこそ、石川は秘めたる思いを明かしたのだろう。だから志田氏も「あれは本気でした。本気で辞めると決心した日はあの日しかないと思います」と話した。

 2015年、選手と裏方として、2人はヤクルトでついにリーグ優勝を味わった。自身が入団した2002年以来、遠ざかっていた悲願をついに叶えた瞬間だった。今は別のチームにいるが、関係は変わらない。志田氏もヤクルトを離れる際、1番最初に報告したのは石川だった。

 野球を辞められなかった青年は、四半世紀が経ち、43歳になっても第一線で投げ続けている。誰もが願う、200勝の大台。次に「辞める」というのは、きっとまだ先のことだろう。

(町田利衣 / Rie Machida)

○著者プロフィール
町田利衣(まちだ・りえ)
東京都生まれ。慶大を卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2011年から北海道総局で日本ハムを担当。2014年から東京本社スポーツ部でヤクルト、ロッテ、DeNAなどを担当。2021年10月からFull-Count編集部に所属

(町田利衣 / Rie Machida)

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