痛烈な正捕手の洗礼「100年早いわ!」 ファンからヤジの嵐…ドラ1を待っていた屈辱の日々
入団1年目は15登板で1勝どまり…浴びたヤジ「恥ずかしかった」
「山根(和夫)さんを見て、ウワーっ、いいピッチャーだなと思ったし、川口(和久)の球も……。古沢(憲司)さんも、なんで30歳半ばなのにこんなに速いんだって、いろんな人を見るたびに、もうこんなの無理やって思いましたよ」。キャンプ、オープン戦と周りに食らいつくのが精一杯だったが、そんな中で公式戦デビューを迎えた。1984年4月22日のヤクルト戦(広島市民球場)で先発のチャンスを与えられた。
しかし、駄目だった。2回途中3失点でKOされた。打者8人に4安打1四球、マルカーノと小川に1発を浴びるなどボロボロだった。「それからはほとんどベンチで見学会でした。ノートを持って、先発ピッチャーがどんなことをしているかをメモした。安仁屋さんには初球の入り方、打ち取り方、打たれ方、バッター有利のカウントの時にどのピッチャーが何を投げたかとか、全部参考になるから、ノートに書いて勉強しなさいと言われた」。
先輩投手に質問もした。「ある時、北別府さんに『今日はマウンドでの投球練習の時になぜカーブをあれだけ投げていたんですか』って聞いたことがあった。北別府さんは『ブルペンからカーブの調子が悪かったんだよ。だから、本当のマウンドでカーブを投げた。どういう感じかなってね。立て直す時にも必要なんだよ、(投球練習は)単に肩作りじゃないんだよ』って教えてくれました」。
つらいこともあった。「試合中はだいたい6回くらいまで、ベンチで勉強して、それから、ブルペンに行くスケジュール。最後の方の広島市民球場は裏から行ける通路を作ってくれたんですけど、あの頃はお客さんの前を通ってブルペンに行くので、ヤジられました。『お前、抑えでもないのに、何で今から行くんだ』とか『ドラフト1位のくせに何やっているんだ』とかね。行くのが恥ずかしかったです。まぁ、それも期待されているからですけどね」。まさに試練の1年目だった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)