痛烈な正捕手の洗礼「100年早いわ!」 ファンからヤジの嵐…ドラ1を待っていた屈辱の日々

広島で選手・指導者として活躍した川端順氏【写真:山口真司】
広島で選手・指導者として活躍した川端順氏【写真:山口真司】

北別府氏を目標に広島入団の川端順氏…初対面で“達川節”が炸裂した

 とんでもないところだった。入ってみたら予想通りやばかった。1983年ドラフト会議で広島から1位指名されて入団した川端順投手(徳島・松茂町町議)はいきなり、主力投手のレベルの高さに打ちのめされた。1年目の1984年は15登板で1勝0敗1セーブ、防御率4.67。即戦力ルーキーはただ勉強の日々。期待の裏返しとはいえ、広島市民球場では「1位なのに」とヤジられた。

 川端氏がプロで最初に遭遇した有名選手は達川光男捕手だった。「寮の前で会って『お前が社会人No.1のピッチャーか、なんか目標が北別府らしいな、100年早いわ!』と言われた。いきなり達川節が炸裂ですよ」。入団発表などで川端氏が「目標は北別府さんです」と話していたのを達川氏はきっちりチェックしていたようだが、言われた方はびっくりだった。「10年早いならまだしも、100年ですからね、その時はもう死んどるわって思いましたけどね」。

 そんなスタートだったが、沖縄キャンプで、本当に実力差を思い知らされた。「それまでの自主トレの時は白武(佳久)のボールとか、金石(昭人)のボールを見て、いいピッチャーだなと思いながらも、自分も負けていないかなと思っていた。でも、キャンプ2日目で……」。1984年2月2日、ブルペンで川端氏は北別府学投手と津田恒実投手に挟まれて投げることになった。そこで2人に圧倒された。

「津田のボールの速さと北別府さんのボールのキレの良さとコントロール、それを見て、僕は50球くらいで投げるのをやめた。ああ、プロってこうなんだと思ったらもう投げられなかった。大学まではそんなことわかっていたんですよ。でも東芝の2年間で自信をつけて……。そんな自分の鼻をへし折られたような感じだった」。

 首脳陣は敢えてプロのレベルを川端氏に知らせていた。「古葉(竹識)監督は最初、『2人の間で投げさせて、力んだらどうするんだ、肩が壊れるからやめとけ』と言ったそうです。でも(1軍投手コーチの)安仁屋(宗八)さんが『大丈夫、大丈夫』って言った。後で安仁屋さんにそれは聞きました」。その後、ブルペンでは若手と一緒に投げるようになったものの、投手王国の力を見せつけられる日々が続いた。

入団1年目は15登板で1勝どまり…浴びたヤジ「恥ずかしかった」

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