プロ野球選手がホストクラブでまさかの“修行” 銀座のママを「しゃべりで喜ばせろ」
安仁屋宗八氏の“型破り指導”…広島若手投手が新宿のホストクラブで修業
元広島投手で徳島・松茂町議の川端順氏は「僕には恩師がいっぱいいる。いろんな人のおかげで今があります」と話す。そんな複数いる恩師のひとりが安仁屋宗八氏(野球評論家)だ。川端氏が選手時代は投手コーチとして、コーチ時代は2軍監督として「大変、お世話になった」という。「安仁屋さんって、ホント、思い切ったことをする人なんですよ。僕のプロ初セーブの時もそうだった」と感謝しながら、当時を振り返った。
川端氏はプロ1年目の1984年7月29日の阪神戦(甲子園)で初セーブをマークした。2点を追う9回表に赤ヘル打線が3点を奪って逆転。6-5となって9回裏に登板してゼロに抑えた。「あの試合は記憶に残っている。9回は誰が行くのだろうと思ったら、僕だった。びっくりしたし、まぁ緊張した。いきなりストッパーですもんね。優勝を争っている中で、しかも大観衆の甲子園。投球練習では何を投げたか覚えていない。ホンマにびびって、びびって……」。
そんな状態で、1三振を含む打者3人で封じた。結果は見事だったが、実際はハラハラドキドキのマウンドだった。「あの時、僕の登板を推したのが安仁屋さんです。古葉監督に『川端は調子いいですよ、いけるんじゃないですか』って言ったそうなんですよ」。そこまでの川端氏は0勝0敗。実績も何もない中での指名だった。この話は当時、総合コーチだった田中尊氏に聞いたという。「田中さんは『あの時、ハチ(安仁屋氏)は酔うとったのかな、まだ酒が残っていたのかもな』って冗談を言ってましたけどね」。
東京・新宿で安仁屋氏の指令によってホストクラブで“練習”させられたこともあったという。「僕と津田と金石とか投手数人が、夜の11時半ごろにホストクラブに入った。その店のオーナーに安仁屋さんが、僕らの席には、12時すぎからやってくる銀座とか六本木などの有名なママさんを座らせるように頼んでいた。そして、僕らがママさんたちをしゃべりで喜ばせろって言われた。そういう度胸がピッチングに役立つってね」。