現役生活縮めた「どんちゃん騒ぎ」 “幻の200勝投手”への思い「悪いことしたなあ」
支えだった父が死去…昭和の鬼軍曹の配慮「あんなに気持ちのある人いない」
病気の父の夢をかなえるためにプロを目指した。治さんは川端氏にとって大きな、大きな存在だった。カープで苦しい立場にいると自分で思い込んで、気持ちが萎えていた時だけに、なおさらショックだった。それだけに大下氏の言葉がありがたかったし、胸に響いた。「親父が亡くなってから、16イニングくらい無失点だったと思います。なんか親父が乗り移ったのかなと思った。苦労かけたなぁってそんなことばかり思ってね」。
大下氏は赤ヘルの鬼軍曹として知られるが、川端氏は「そりゃあ根に持っている人もいるかもしれない。でもね、あんなに人を思う気持ちのある人はいないですよ。今でも思い出す。野村謙二郎が入団してきて、エラーばっかりしている時に大下さんがピッチャー陣を集めて『すまんのう。あれだけエラーして。ピッチャー、大変やろ。(野村は)ワシの(駒大の)後輩なんや。ワシも認めてドラフトで獲ってくれって言った人間なんや。我慢してくれ』って言ったりね」。
広島市民球場で大下ヘッドがグラウンドをならしている姿も印象的だという。「そこはね、前の日に誰かがエラーしたところなんですよ。大下さんは早くから球場に行って、グラウンド整備員を呼んで『この辺やったか』って聞いて自分でやっていたんです。ショートのあたり、セカンドのあたり、サードのあたりとか、エラーしたところを必ずね」。
6年目の川端氏は30登板で3勝1敗。4試合に先発した。成績は決して満足いくものではなかったが、大下ヘッドのおかげで何とか踏ん張れたシーズンだった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)