海外で消えた“家賃10か月分” 難病経験した元巨人左腕…国境越えて野球振興に懸ける今

インタビューを受ける元巨人左腕・柴田章吾さん【写真:小林靖】
インタビューを受ける元巨人左腕・柴田章吾さん【写真:小林靖】

元巨人育成・柴田章吾さんがインドネシアで実施目指す“甲子園大会”プロジェクト

 厚生労働省指定の難病「ベーチェット病」と闘いながら甲子園に出場、プロ野球選手となった元巨人の育成投手を覚えているだろうか。2014年に現役引退した柴田章吾氏は一度、断念した夢を追い求め、フィリピン、インドネシアに渡る。目的は東南アジアの野球振興と、“甲子園大会”の開催。病気で苦しい思いをした「自分にしかできないこと」を伝えにいく。

 現役引退後、ジャイアンツアカデミーで子どもたちに野球を教えるノウハウを学び、海外で日本以外の子どもたちに教える夢を抱いた。一般企業勤務を経て、ITコンサルの会社を設立するなど独立。仕事と同じくらいの熱量を持って、フィリピンで野球アカデミーを設立することに力を注いだ。

 2020年1月。その夢に向けて、柴田氏は海を渡った。きっかけは引退後に「英語を学びたい」と思ってフィリピンでホームステイをしていたことだった。現地の子どもたちに「野球を教えるから英語を教えて」と声をかけ交流が始まり、野球アカデミーの礎を築いた。ワンルームのマンションを借り、引越しは完了。準備を整え、あとは異国の地で全力で子どもに向き合うだけだった。

 現地スタッフとともにアカデミーを設立したが、2か月後の3月。フィリピンにも新型コロナの波が押し寄せた。「ロックダウンが発令される。明日から外には出られない。どうしよう。子どもたちに野球を教えることができなくなるかもしれない」……。途方に暮れながら、近くのスーパーに行くとレジまで2時間の行列を目の当たりにして、さらに愕然とした。

 テレビでは政府が会見をしていた。「渡航禁止令が出るかもしれない。僕は外国人。ここに残ってどんな仕事ができるのか……」。部屋に戻ると、スーツケースに荷物を詰めている自分がいた。マンションの契約はまだ10か月も残っていた。「最初に1年の契約で支払った家賃は何があっても戻らないという約束(契約)だったので、もう“パー”でしたね……」。現地スタッフと教え子たちのいるフィリピンから無念の思いで日本に戻った。

 しばらくはオンラインで、フィリピンの子どもたちに野球指導をしていたが、続けていくことは難しかった。柴田氏は東南アジア全体にアカデミーを広げていく夢は一度、断念した。日本に戻ってきても仕事はない。日本で住んでいた頃のマンションは妹に貸していたため、ひとまず、そこに戻ることに。「帰国後1か月は冷静でいられなかったです……」。ぼんやりとする時間が流れても、東南アジアに野球アカデミーを作る構想は頭から離れることはなかった。

九州アジア独立リーグもインドネシアから野球の国際化を目指している

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