恩師を裏切り「お前、言いやがったな」 大魔神覚醒へ…伝えた“致命的欠点”
長内孝氏は1992年に広島から大洋へ移籍…佐々木主浩に癖を伝えた
広島・山本浩二監督と水谷実雄打撃コーチを裏切った。現役時代、左のパワーヒッターとして知られた長内孝氏は、1992年シーズンに広島から大洋に移籍した。銚子利夫内野手との交換トレードだった。実は「大洋に行っても絶対言うなよ」と山本監督と水谷コーチに釘を刺されていたことがあった。それは当時プロ3年目だった大洋・佐々木主浩投手の癖。だが、長内氏はあっさり、佐々木氏に教えたという。
大洋に移籍した17年目の1992年、長内氏の背番号は「28」になった。交換で広島に移籍した銚子氏は、長内氏の広島時代の背番号と同じ「9」だったため、愛着ある番号を選択することも可能だったが「28」にした。「28番は前の年まで新浦(壽夫)さんがつけていた。新浦さんみたいに長くプレーしたい。1年でも長くやりたいと思ってね。結局、2年しかもたなかったけどね」。
新天地での1号ホームランは5月12日の広島戦(広島)。佐々岡真司投手からだった。「カープ戦とかになったら“見とけよ”とは思ってましたよ。もう(大洋に)行っちゃったわけですから」。そして大洋・佐々木投手の癖の件で山本監督と水谷コーチに怒られた。「『お前、バカ野郎、言いやがったな』って言われました。でも、同じチームになったら、そりゃあ言いますよね」。当時の佐々木投手にはストレートとフォークがはっきり判別できる癖があったという。
「足を上げる時の腕の位置がね……。僕が大洋に行った時、佐々木が『一番嫌な人が来た。ああよかった』っていうから『癖が分かるからだよ。これは直さないと打たれるよ』って教えた。本人はやはり気付いていなかったけど、すぐ直せた」。広島サイドも一発でその変化に気付いた。この時点で“長内氏が話したはずだ”と確信したわけだ。
佐々木主浩は長内氏の助言で癖を矯正…初タイトルを手にした
そんな効果もあったのか、佐々木氏は長内氏が大洋に加入した1992年シーズンに最優秀救援投手のタイトルを初めて手にした。「佐々木はあれから大魔神になったからね」と長内氏は話したが、肝心の自身の成績の方は伸びなかった。この年は86試合、打率.233、6本塁打、27打点。6月12日の中日戦(ナゴヤ球場)で通算100号本塁打を西本聖投手から放ったが、シーズン途中に「キャッチャーのブロックにあって、あばら骨を折った」など怪我にも泣かされた。
長内氏は翌1993年に現役を終えることになるが、その年は0本に終わったため、1992年9月23日の中日戦(ナゴヤ球場)で小松辰雄投手から打ったシーズン6号が結果的には現役ラストアーチになった。もちろん、その時はそれが最後のホームランになるとは思ってもいなかったが……。ちなみに、この年に一発を浴びせた西本と小松に関しては「相性がよかった」という。
「小松は真っ直ぐばかりを打った。僕は、真っ直ぐが速いやつが得意だったからね。西本さんには一度『お前、俺の何を待っているんだ』って聞かれたことがあって『シュートだけ待っていたら何でもタイミングが合うんですよ』と答えた。いらんこと言ったかなって思ったけどね」。話しているうちに、かつての対戦シーンが思い浮かんだのだろう。「大好きだったなぁ、この2人は……」と懐かしそうだった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)