思い返すだけで「ゾッとする」 知らなかった背番号「10」の重み…注がれた冷たい視線

広島時代に背番号「10」をつけた比嘉寿光氏【写真:本人提供】
広島時代に背番号「10」をつけた比嘉寿光氏【写真:本人提供】

現役時に金本知憲氏の背番号を継承した現広島編成部の比嘉寿光氏

 今でも思い出したらゾッとするという。広島東洋カープ編成部編成課長の比嘉寿光氏は、苦笑しながら“あの頃”を語った。2003年のドラフト3位で広島入りした時のことだ。「僕はあまりプロ野球を見てなかったんで、偉大な人の背番号を引き継いだことを後で知ったんです」。球団から与えられた背番号は「10」。鉄人・金本知憲氏の広島時代の番号だったことを、提示された際は全く理解していなかったのだ。

 比嘉氏は「広島には入団発表の時に初めて行った。球団のことも全然知らなかった。本当に何もかもが初めてでした」と当時のことを思い出しながら、バツが悪そうに話した。そして「正直、金本さんの凄さもわかってないくらいでした……」と“告白”した。背番号も、最初は違う意味合いだけでとらえていた。「(早稲田)大学での背番号が『10』。キャプテンは10番なんで、それとつなげてくれたんだなぁ、くらいに思っていたんです」。

 金本氏は、1991年のドラフト会議で広島から4位指名されて入団した。東北福祉大出身の右投げ左打ちの外野手は、入団当初こそ線が細かったが、猛烈な練習量とウエートトレーニングなど、努力を積み重ねて、強靱な肉体とパワフルかつ精密な打撃術を身に付けた。2000年には打率.315、30本塁打、30盗塁の成績を残してトリプルスリーを達成。2002年オフに阪神にFA移籍するまで、赤ヘルの主軸として大活躍した。

 背番号「10」は、そんな金本氏がつけていた番号で、2003年は空き番になっていた。2004年シーズンから加入の比嘉氏は、それを受け継ぐ選手に指名されたわけだが、本人はその事実を後日、知った。そこで初めて、事の重大さに気付いたという。「周りの僕を見る目が……。“金本さんの番号をすぐもらいやがって”みたいな目が……。今思うと大変なことをしていますよね。ホント、思います。何してくれたんだって思うくらい。ゾッとしますよ」。

広島編成部編成課長を務める比嘉寿光氏【写真:山口真司】
広島編成部編成課長を務める比嘉寿光氏【写真:山口真司】

春季キャンプから「体がパンパン」“準備不足”に泣いた1年目

 比嘉氏は笑いながら、自虐的な言葉をさらに重ねた。「みんな、思っていたはずですよね。こんな大したことないヤツに、誰が10番をつけさせようと思ったんだ、ってね。今だったら、僕も言いますもん、お前には10番は荷が重すぎるってね。あの時の自分に対しても言っちゃいたい。ホント、わかってなかったです」。

 そんな形で始まった比嘉氏のプロ人生。1年目は怪我に泣いた。「確か、ファームの試合で、1か月くらいした時に、場所はグリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)だったんですけど、ベースを踏み外して、左手をついた時に剥離骨折とか、しょうもない怪我を……。そんなのがずっと続いて、1年目はまともな活躍なんてできなかった。野球をやっている感じじゃなかったですね」。

 実はその年「キャンプからやばかったんです」という。「えっていうくらい、体がパンパンになっちゃって……。大学の時、4年のチームが終わってから、プロまでの間に練習ができていなかった。考えが甘かったんですよね。正直、キャンプではホント、体力不足でした。1年目はひどかったです」。背番号10の重みを感じるばかりだった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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