慶応、4強進出は103年ぶり 当時メジャーはルース全盛期…“大谷級”の歴史塗り替え
慶応は準決勝第2試合で土浦日大(茨城)と対戦する
第105回全国高校野球選手権記念大会は21日、甲子園球場で準決勝2試合が行われる。第2試合では慶応(神奈川)が土浦日大(茨城)と対戦する。激戦区・神奈川を制した勢いそのままに、103年ぶりに4強に進出した伝統校がどのような戦いを見せるかに注目が集まる。
初戦の北陸(福井)、3回戦で広陵(広島)、準々決勝で沖縄尚学を相手に堂々たる戦いを見せ、今大会の話題の中心となっている慶応。103年ぶりの4強進出で、部の長い歴史にも注目が集まるが、ここでは前回ベスト4時の1920(大正9)年の野球界を振り返ってみる。
まずは慶応野球部の歴史だ。公式ホームページによると、1892(明治25)年に野球部が誕生し、今年で創部135年を迎える。前身の慶應義塾普通部は1916(大正5)年の第2回全国中等学校野球大会(現・夏の選手権)で優勝、1920年の第6回大会でも準優勝を果たした古豪中の古豪と言える。
日本の野球界では、この年に日本初のプロチームである日本運動協会(芝浦協会)が誕生した。現在のようなプロ興行のリーグ戦が始まったのは1936(昭和11)年で、それより16年も前にプロ球団が誕生していたことになる。前述の夏の甲子園は6回大会が行われて、関西学院中が慶応中を17-0で下して、優勝を果たしている。また、選抜大会は1924(大正13)年に始まったので、甲子園大会は夏の選手権のみだった。
メジャーに目を向けると、ジョージ・シスラーが打率.407で首位打者を獲得。イチロー氏(現マリナーズ会長付き特別補佐兼インストラクター)が、2004年に262安打を放つまで、シーズンMLB記録となっていた257安打を放ったのはこの年だった。エンゼルス・大谷翔平投手の活躍で、日米で連日のように話題に挙がるベーブ・ルースは、ヤンキース移籍初年度で54本塁打、135打点で2冠を達成した。
1世紀以上の伝統を誇る慶応は、今大会は5年ぶり19回目の夏の聖地で、103年前の先輩が成し得なかった2度目の全国制覇に挑んでいる。令和の時代に“大正の扉”を開けた選手たちが新たな歴史を作るのか、注目が集まる。
(Full-Count編集部)