歴史的「10・8」はプライベートでも大一番 元巨人の盗塁王が決戦前日に結婚したワケ
「約束を破るわけにはいかない」緒方耕一氏は決戦前日に婚姻届を提出
長嶋茂雄監督が「国民的行事」と表現した「10・8」。同率首位の巨人と中日がシーズン最終戦で直接対決した1994年10月8日(ナゴヤ球場)の決戦だ。現役時代に巨人で盗塁王に2度輝いた評論家の緒方耕一氏も守備固めで出場したのだが、「もちろん応援してくれたファンのためにでもあるけど、自分のためにも勝てば1点差でも何でもよかった」と必勝を期して臨んだ。
決戦前日の7日、巨人は東京から名古屋に移動した。緒方氏はその日の朝、嘉代(かよ)夫人といっしょに役所を訪れていた。「朝イチで婚姻届を出したんです」。なぜ、大一番の前日だったのか。
緒方氏が入団1年目。よみうりランド内にあるジャイアンツ球場で練習後にグラウンド整備をしていた。夫人は友達と遊園地からの帰りに駅へ向かう道すがら球場にたまたま立ち寄った。そこで当時19歳の緒方氏と写真を撮った。「僕のことなんて絶対に知らなかったはず。まだ入ったばかりの2軍選手ですもん。それがきっかけでお付き合いしたのですが、若い頃から25歳には結婚したいと話してたんです」
緒方氏はプロ3年目に1軍デビューするや、スピード感あふれる攻守に爽やかなルックスも相まって女性を中心に一躍、人気選手となった。それでも変わることなく密かに交際は続いた。「ファンの人には彼女がいない体裁でいたので、申し訳なかったです。かみさんも心配だったでしょうし、申し訳ない感じでした」
1994年シーズンはし烈な優勝争い。月日があっという間に過ぎていく。嘉代さんのバースデー、10月15日が近付いていた。「もうあと何日かで嫁さんの誕生日だって気付いて、あっと思って。26歳になってしまったら約束を破ってしまう。カレンダーを見たら、空いている日が7日しかなかったんです」。それが結果的に決戦前日となったのだ。
決戦前夜のチームの様子は、どうだったのだろう。「夜にミーティングがありましたね。時間は短かったですが。ビジターだと、前日夜は普通はないんですけど」。異例の緊張感を想起させる。
しかし、緒方氏は否定した。「みんな普通に淡々としていました。『負けるかな』って考えた人、誰もいないんじゃないかな。中日も強いし、なめてるとかではないんです。長嶋さんはポジティブで『良いイメージを持って寝なさい』と、いつも仰っていた。それで洗脳されて皆、メンタル的にそういう風に持っていけたと思います」
優勝を逃したら「招待状を渡せるの? 絶対に負けられないんですよ」
歴史的な一戦は落合博満内野手、松井秀喜外野手がアーチをかけるなど、巨人が6-3で勝った。緒方氏はウォーミングアップをして出番に備えていた。落合氏が序盤に守備で負傷退場した時に「えっ、もう落合さんが出られない。ヤバいかな」と一瞬だけ頭をよぎったそうだが、ひたすら勝利を念じていた。
「結婚したから、みんなに結婚式への招待状を出しますよね。長嶋さんとかにも出すわけですから、絶対に負けられないんですよ(笑)。優勝を逃したら、招待状を渡せるの? って感じじゃないですか」
緒方氏は終盤にレフトに就き、歓喜の瞬間を味わった。「たぶん、ほっとしていたでしょうね(笑)」。この試合、オリックスのイチロー外野手が三塁側スタンドで一般ファンにまじり観戦していたが、「全然知らなかった」という。
緒方氏はこの年、西武との日本シリーズ第5戦(西武球場)で満塁本塁打を放ち、長嶋巨人は日本一に王手をかけた。迎えたテレビのヒーローインタビューは「結婚発表」となる可能性があった。
「まだ公表してなかったですけど、内輪の監督、コーチ、先輩らには報告していました。だから『お前、きょう言え』って。でも、まだ日本シリーズは続くんですよ。ホームランを打ったからって、巨人ファンにも西武ファンにも『有頂天になってる』と言われちゃう。自分から言うのは……。もし聞かれたら、隠すのも嘘になるので言います、と。聞かれなかったので、言わなかったです」
夫人との約束を果たし、リーグ優勝も日本一も手にした。「『あー、良かったー』って思ってましたね」。緒方氏は公私ともに記憶に残る1994年を回想した。
(西村大輔 / Taisuke Nishimura)