栗山監督に救われたドラ1 突然のトレード通告も…響いた「お父さんみたいな」優しさ

ヤクルトなどでプレーした増渕竜義氏【写真:片倉尚文】
ヤクルトなどでプレーした増渕竜義氏【写真:片倉尚文】

増渕竜義さんは燕とハムで計9年間プレー、通算157試合に登板した

 ヤクルトに2006年高校生ドラフト1巡目で入団し、9年間の現役生活を送った増渕竜義さんは現在、埼玉・上尾市の野球塾「上尾ベースボールアカデミー」で塾長を務める。通算成績は157登板(44先発)で15勝26敗29ホールド、防御率4.36。山あり谷ありのプロ生活で、日本ハムに移籍した際に当時の指揮官、栗山英樹さんにかけられた言葉は忘れないという。

 埼玉県立鷲宮高からドラ1でヤクルトに入団した増渕さんは1年目からチャンスを得た。開幕ローテに組み込まれて3試合に登板。右肩を痛めてリタイアするもシーズン終盤に再昇格し、10月4日の横浜戦で8回途中無失点の好投でプロ初勝利を挙げた。「でも、悔いが残っているんです」。

 この日は鈴木健内野手の引退試合で、しかも、アレックス・ラミレス外野手がシーズン200安打を達成。話題てんこ盛りの試合となり、増渕さんの初勝利はこれらに埋もれてしまった。古田敦也監督との記念撮影もなし。「(監督との)写真が欲しかったですね」と、笑いながら語る。

 才能が花開いたのは4年目の2010年だった。きっかけは投球フォームを変えたこと。伊藤智仁投手コーチに「シンプルに外国人のように投げてみては」と助言を受け、試してみたところはまった。「無駄な動きをなくして、すぐにトップを作って投げる。これがしっくりきたんですよね」。自己最多の57登板で2勝3敗20ホールド。“7回の男”として君臨した。

開幕直後のトレード…栗山監督から「増渕なら大丈夫」

 翌2011年には主に先発で自己最多の7勝。2012年は49試合に登板したをが、陰りも生じた。「先発では力配分をして、リリーフではめいっぱい。徐々に投げ方が分からなくなってきたんです」。バント処理で二塁送球した際に右肘も痛めてしまった。「その痛みが頭から離れなくて……かばうような感じになってしまいました」。

 2013年は僅か5登板に終わり、2014年開幕直後に日本ハムへのトレードが決まった。寂しさと悔しさが交錯する中、栗山監督からこう言葉を掛けられた。「1回ぶち壊そう。1回ゼロにして時間がかかっても頑張っていこう。増渕なら大丈夫だから」。その言葉に勇気づけられたという。「本当にお父さんみたいな感じ」。増渕さんは振り返る。

 サイドスローにも挑戦するなど、様々な手を講じたが「自分の思い描いた投球はできませんでした」。2年間1軍での登板機会がなく、戦力外通告。現役引退を決めた。その決断に悔いはなかったという。

「やり切った感がありました。自分の感覚が戻らないまま野球を続けたくなかった。皆さん親身になってくれて、成績は残せなかったけど日本ハムに行って良かった」。やり切った9年間。増渕さんは今、その経験から得たものを子どもたちに惜しみなく伝えている。

(片倉尚文 / Naofumi Katakura)

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