怒声や野次よりも大切 喝采は「最高のご褒美」…選手が望む応援のあるべき姿
強打の内野手、2軍監督や1軍ヘッドを務めた岡崎郁氏の東京ドームの思い出
この夏、高校野球やプロ野球で様々な議論を呼び、“応援の形”を考えさせられる機会が多かった。選手にとって声援や拍手は一生、忘れられないものにもなる。1980年代中盤から90年代にかけて巨人で強打の内野手として活躍した岡崎郁氏は本拠地・東京ドームの大歓声は「僕にとって最高のご褒美だった」と表現する。愛された応援歌も心に刻まれている。巨人に33年間、身を置いた岡崎氏に思い出を聞いた。
巨人は7月に行われたDeNA戦(東京ドーム)を「オールドサマーシリーズ」と題してイベントを開催。現役選手の応援歌を1980年代に親しまれた選手の曲をモチーフにした復刻版に変更した。岡崎氏の応援歌は同じ右投左打の内野手、中山礼都内野手と新人の門脇誠内野手が使用した。「あの曲は本当にいい曲ですよね。今でもずっと覚えています。僕にとっての名曲ですね」と当時の応援団との話を切り出した。
入団5年目に頭角を現し、6年目の時からオリジナルの応援歌が作られたと記憶している。存在がファンに認められた形だ。「オフに応援団の方と懇親会がありました。僕の曲を作ってくれたのは、トランペットを吹いていた方。他にもいろいろな曲を作っていましたが、その方に『俺が作った中で岡崎選手のものが一番の名曲だ』と言っていただけたのを覚えています」と約40年前の記憶を蘇らせた。
晩年、代打の機会が増えたが、東京ドーム内の雰囲気が好きだった。かつての本拠地を見渡しながら「ここの球場はジャイアンツがチャンスになると観客に手拍子を促す音楽があった。あの曲が流れる時、球場がワーッと盛り上がる。ああいう雰囲気作りはファンの方も楽しいだろうけど、選手もやっぱり気合が入りましたね」。
本拠地で受けた幾多の歓声は「結果が出た時に受けることができる賞賛」
ただ、その声援に後押しされて安打や本塁打を打てたということは「ない」と断言する。「僕は声援や拍手は結果が出た時に受けることができる賞賛だと思っています。ファンの人が喜んでくれるためにプレーするというスタイルを巨人で教わってきましたから」と打席の結果に喜んでくれるファンの声や笑顔が好きだった。
それを一番、感じることができる場所が本拠地だった。「自分に対して拍手をもらえることが一番の喜びであって、最も大きいのが東京ドーム。ここでの声援や拍手が僕にとって最高のご褒美でしたね」。東京ドーム元年の1988年には巨人で初の三塁打を放ったのは岡崎氏だった。1989年の近鉄との日本シリーズでもMVPこそ駒田徳広氏(現・3軍監督)に譲ったが大活躍だった。ヘッドコーチ時代の2012年もCSや日本シリーズを制した。幾多の歓声を受けた思い出は忘れることはない。
取材の最後、岡崎氏はスタンドから東京ドームの中を歩いた。現役引退後、なかなか座席でプロ野球を見る機会はなかった。打席やベンチからは見ることのできない景色。それはファンが見ている世界でもある。叱咤や激励などファンの応援の形はそれぞれだが、巨人という世界で生き抜いてきた岡崎氏にとっては、東京ドームで起きる喝采は結果を残したものに贈られるファンからの大きな“プレゼント”だった。
(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)