計画頓挫から始まった第2の人生… 1年半の修行の先に決意した野球との“決別”
元オリ、阪神の葛城育郎氏は現役引退後、飲食業に転身
オリックス、阪神で活躍した葛城育郎氏は2011年シーズン限りで現役を引退した後、飲食業の世界に転身した。現在は「株式会社葛城」の代表取締役で、兵庫県西宮市の「酒美鶏 葛城」を経営。2023年で10周年の大繁盛店となっている。今後はアスリートのセカンドキャリアを支援する事業も考えているという。野球では報徳学園のコーチを務め、将来、教え子たちがプロで活躍するのを楽しみにしている。まだまだ夢いっぱい。充実の第2の人生だ。
現役生活に踏ん切りをつけた葛城氏は次のステージとして「最初は野球の経験を生かしたいなと思って、野球の家庭教師を考えた」という。「でも、何人かに相談させてもらった時に雨の日はどうする、場所を確保できなかったらどうするとか、いろんなことを言われてそれは厳しいんじゃないかって諦めたんです」。その次に出てきたのが飲食業だった。「みんなでワイワイするのも好きだったので、みんなが集まる場所を作りたいなってもともと思っていたのでね」。
焼き鳥に着目し、1年半、修業した。「まず鶏の知識もいるので、精肉店で鶏のさばきからやりました。いろんな試行錯誤、串を打たないようにしたりとか、いろんなことも考えて……」。2013年に「酒美鶏 葛城」をオープン。阪神時代にお立ち台での「ウォーーー」絶叫で人気を集めたことから店名を「さけびどり」とし、それも大当たり。溶岩プレートを使って焼くスタイルも含めて一気に話題の店になった。葛城おすすめおまかせコースの「酒美膳」は大人気だ。
選手が気軽に集まれる店を目指し「ウチの店は野球のものを一切置いていない。テレビも置きませんし、サインも置かない。ユニホームを飾ることもない。ユニホームで来たお客さんは入れないんです。僕が現役の時、そういう店って入りにくかったんでね」。この狙いも大成功で、一般のお客さんはもちろんのこと、野球選手も来やすい店になっている。「そうするために僕が店に立っている。何かあれば僕に言ってもらえればいいのでね」。
やりたいことはまだまだいっぱいある。「アスリートのセカンドキャリアを支援できるような形もつくっていきたい。アスリートに安心して競技してもらって、終わった後に、こういう選択肢がありますよ、というのを示してあげれば、もっと幅広くなるんじゃないかと。何年かかるかわからないですけど、やれればいいかなと思っています」。
2021年から報徳学園のコーチ…今春の選抜大会では準優勝
野球人としても忙しい。2021年4月から報徳学園のコーチを務める。大角健二監督が立命大の後輩ということで手伝うようになった。「大角は僕が4年の時の1年で部屋子だったんです」。葛城氏は倉敷商時代に甲子園に出場できなかった。その夢も報徳ナインとともに実現させることを目標にしていたところ、2023年の選抜大会に出場し、しかも準優勝。「まさかこんなに早く行けるとはね。うれしかったですね」と笑顔を見せた。
人の成長を見るのが楽しみでもあるそうだ。「報徳の子どもたちがプロ野球選手になって活躍する姿も見たいですね」。プロ注目の堀柊那捕手ら逸材も多く「何年か後に(1軍に)出てきてくれればね」と声を弾ませた。とはいえ、お店とコーチの“二刀流”は決して簡単ではない。ハードスケジュールの中をやり繰りしているし、元プロ野球選手とはいえ、肉体的にも楽ではない。
それでも「今は自分自身が充実しているんでね。僕の中では“明日死んでもいいような1日を送ろう”というのがモットーでもあるのでね」と笑う。「一生懸命生きて、アー、疲れたって帰ってバタっと寝るのが一番幸せなのかなってね。毎日、後悔はしたくないんでね」。
「株式会社葛城」の代表取締役を務める葛城氏だが、プロの世界への復帰を全く望んでいないわけではない。「ちょっと今、芽生えてますね。やっぱり自分の経験したことを伝えたいというのもありますしね。教えている時に伸びたところを見てみたいので2軍とか3軍とか。1軍は思わないですけどね……」。いろんなことに挑戦したいと思うからこそ、いろんな気持ちも沸いてくるのだろう。
「報徳のコーチは日本一になったらやめようかなと思っています。それで僕の役割は終わりかなと思っています。日本一になってもらえるように頑張りますよ。可能性は十分あると思いますから」。倉敷商、立命館大、オリックス、阪神。葛城氏の野球人生は様々な出来事がつながって、今もなお続いている。次はどんな進化した姿を見せてくれるのか。ゴールはまだまだ先だ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)