辞任の今…原監督が明かす心境と未来「そのうち飽きる。ムクムク起き出す」
「インターバルの8年は非常に尊い8年だった」
巨人の原辰徳監督が4日、本拠地・東京ドームでのDeNA戦後、最終戦セレモニーでファンへ向けて直接、今季限りでの辞任を表明した。阿部慎之助ヘッド兼バッテリーコーチが来季から監督に昇格することも明らかにした。現役時代から“若大将”の異名を取ってきた指揮官も65歳。今後、ユニホームに袖を通す可能性はあるのだろうか。
「原さん、ありがとう!」「辰徳!」
今季終了セレモニーも終わり、ファンの声援を背中に受けながらグラウンドをあとにした原監督は、報道陣に囲まれ取材に応じた。感極まって声を詰まらせ、ハンカチで涙をぬぐうシーンもあったが、今後について聞かれると、「65という年齢になりまして、すこーしゆったりと、自分のことも考えながら、ゆったりと生きられたらいいと思います」と穏やかな笑顔を浮かべた。
今後の巨人との関わりについては「OB、ファンという立場でね、求められたり、質問されたりすれば、全く惜しむことはしません。ただ、自分からあれこれ言うことはないですね」と、現場に“圧”をかけたくない意向を示した。
1980年ドラフト1位で巨人に入団し、95年までの15年間、1066試合で4番を務めるなど主力として活躍した。現役引退後、3年間のインターバルを置き、1999年から1軍野手総合コーチとして現場復帰。2002年に監督へ昇格する。“第1次”監督時代はわずか2年間で終わったが、2006年から15年、19年から今年を合わせて3度にわたり、計17年間巨人の指揮を執った。リーグ優勝9回、日本一3回、巨人監督として歴代最多の1290勝を誇る。プロで他球団のユニホームを着たことは1度もない。
日本代表を2009年第2回WBCで優勝へ導いた実績
22歳でプロ入りしてから、これまでの43年間のうち、35年間を巨人に捧げたことになり、その間計8年間のインターバルがあった。原監督は「その8年間は非常に尊い8年だったと思っています。現役引退後の3年間は、某テレビ局でいろいろやったし(NHK解説者)、他の世界を見て勉強する期間がありました。ずっとユニホームを着続けた35年ではありませんでした」と振り返る。
6年ぶりに訪れるインターバルをどう使うのかを聞かれると、「明日のことを何も考えずに、ゆったりと床に就くというのは、いいことでしょうな」と重荷を降ろした安堵感を漂わせながらも、「まあ、そのうち飽きるでしょう。そうしたら、何か趣味なのか、仕事なのかはわからないが、ムクムクと起き出すのではないかな」と声が弾んだ。第1次監督時代を終えた後には、「好きなことができて楽しいと思ったのは数か月だけで、すぐに飽きた」と吐露していたが、「今回は、1年くらいは飽きないと思うよ」と笑わせた。結局、根っからの勝負師なのだろう。
奇しくもこの日、井端弘和氏が侍ジャパンの新監督に就任することが発表されたが、契約期間は来年の「第3回プレミア12」までを前提としつつ、今年11月の「第2回アジアプロ野球チャンピオンシップ」をはじめ、1大会ごとに契約を結ぶ形を取るという。2026年の「第6回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の監督は現時点で白紙と言える。従来通りの3月開催なら67歳になっている原監督も、2009年の第2回大会で日本代表を優勝に導いた圧倒的な実績があるだけに、侍ジャパン監督候補になる可能性もありそうだ。
原監督自身、「僕はこういう風になりたいとか、こういう風にお願いしますとか言ったことがないです。選手の頃、ジャイアンツの4番を打ちたいとかはありましたけれど、指導者となってからは、自分からコーチになりたいとか、監督になりたいとかは一切なかった」と言うが、(求められれば)ユニホームを着る可能性は否定しなかった。このまま隠居を決め込むとは思えないが……。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)