夢の祭典で“主役”務めたドラ1 試練の支えとなる11年前の一投「届かなかったんです」

オリックス・太田椋【写真:荒川祐史】
オリックス・太田椋【写真:荒川祐史】

オリックス・太田椋内野手は2012年の球宴第1戦で始球式を行った経験がある

 当時11歳だった少年の思い出は、記憶に深く刻まれている。オリックスの太田椋内野手は、2012年7月20日に京セラドームで行われたオールスターゲーム第1戦で、始球式のマウンドに上がった経験がある。今のプロ人生につながる、貴重な体験だった。

 8歳で野球を始め、初めて立った超満員のスタジアムに「鳥肌が立ちました。全体を見渡して、とにかく広かった印象しかないです」と、手汗をかくほどの緊張感を味わった。軟式野球チームに所属していたため「普段は軟球を投げている中、硬式のボールを投げたので、新鮮でしたね。あの時、初めて京セラドームのブルペンでキャッチボールして肩を作らせていただきました。父親(暁さん・現打撃投手)の影響もあって、ドームには何度も行ったことはありましたけど、マウンドに立ったことはなくて、初めてでした」と鮮明に覚えている。

 投じたボールには赤土がついていた。「西武の中村剛也さんにサインをもらって、実家に飾っていますね」と微笑むと、「始球式用の(特注の)カラフルなデザインのグラブも飾っています」とあどけなく笑った。

 貴重な経験をした6年後、ドラフト1位でオリックスから指名される運命が待っていた。「まさか……でした。ドラフトが始まってすぐ(の指名)だったので、『え?』みたいな感じで。あの時はプロ野球選手になれるとも思っていないですしね(笑)。幼少期から京セラドームは何回も観に行かせてもらっていた場所なので、(プロ入り当初は)不思議な感覚がありました。今は、ふとしたときに感じます。(自分が)小さい時に一緒に(球場へ)観戦に行っていたメンバーに会ったりすると、少し思い出します」。数秒間、遠くを見つめると言葉を続けた。

「あの時、投球が届かなかったんです。ワンバウンドになった記憶があります。だから、遠いな、広いなと感じたのかなと。バッターは長野(久義)さんでしたね。投手は斎藤佑樹さんでした。中村紀洋さんのホームランも覚えてます。ものすごいメンバーでしたね」

 高卒5年目の太田は、9月12日に大阪市内の病院で左尺側手根伸筋腱鞘(けんしょう)形成術を受け、現在はリハビリ生活を送っている。昨季の日本シリーズ第7戦では、プレーボール直後の初球を振り抜いて先頭打者アーチを描くなど、悲願の日本一に貢献した。夢を追う中で壁にぶつかる日々だが、11年前の記憶が22歳をさらに強くさせる。

(真柴健 / Ken Mashiba)

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