プロ野球に無関心も「お金に飛びついた」 予期せぬ“誘い”に即断…契約金は「全部渡した」

中日で活躍した正岡真二氏【写真:山口真司】
中日で活躍した正岡真二氏【写真:山口真司】

1967年ドラフト会議で中日から4位指名を受けた正岡真二氏

 プロ野球が12球団あることも知らなかった。元中日の名手、正岡真二氏は1967年ドラフト4位で指名された。今治南で甲子園に出場し、高校日本選抜メンバーにも入った将来性十分の遊撃手で、当時から守備力には定評があった。当初は大学進学か社会人入りを考えていたが「中日から話が来ている」と聞いて、迷わずプロを選択したという。しかし、どんなチームなのか、どんな選手がいるのか全く知らなかった。その基本的な“勉強”からのスタートだった。

 正岡氏(当時は村上姓)は1967年夏の甲子園に出場し、8月下旬から9月上旬までは高校日本選抜の一員としてハワイ、米西海岸遠征に参加した。プロから話が来ているのを知ったのは、その後だった。「アメリカから帰ってきたら『中日がドラフト4位で考えているよ、どうする』ってお袋に言われた」。それまでは大学か社会人を検討していた。「家がそんなに裕福じゃなかったんでね。大学も(特待生で)金はいらないっていうからさ……」。

 そんな中で聞いた中日からの誘い話。「そりゃあ、もうそっちに行こうと思ったよ。お金をもらえるんだからね。お金に飛びついたよ」。迷わずプロを選択した。11月のドラフト会議で予定通り、中日から4位指名を受けて入団を決めた。「契約金は全部、お袋に渡した。500万円。その頃の500万円は今の5000万円くらいかな。お袋はそれで家を建てた。昔は100万で家が建っていたからね」。親孝行ができたのが何よりだった。

 中日以外の話は聞いていなかった。「よその球団はどうだったんだろうね。その頃は後援会長が仕切っていたから、たぶん会長がお袋をまじえて、プロのスカウトと話をして決めたんじゃないかな。俺は何もしなかった。『中日に行く? どうする?』って聞かれただけだったね」。しかしながら、中日のことは何も知らなかった。「プロ野球はテレビで巨人戦しかやってなかったけど、家にテレビがなかったから、たまに親戚の家に行って見たくらいだったからね」。

セ・リーグが「6球団ってことも知らなかった」

 巨人の王貞治氏と長嶋茂雄氏は知っていたが、その他は……。「プロ野球に12球団あることも知らなかったし、セ・リーグが6球団ってことも知らなかった。中日に関しても指名されるとわかってから興味を持った。人に聞いてどんな選手がいるのか教えてもらったりしてね」。中利夫(当時は暁生)外野手、高木守道内野手、江藤慎一外野手……。「こういう選手がいるんだなって、そういう感じだった」。

 名古屋は縁もゆかりもない土地だったが、腹を括って今治を出た。「初めて名古屋に着いて、駅から栄の方を見たんだよ。その頃は高い建物がないから、ずーっと先の方まで見えたなぁ。そう考えたら、ずいぶん変わったねぇ……」。時の流れを感じながらも、その時の光景は忘れられないのだろう。成功を信じて名古屋の地に足を踏み入れた、それがプロへの第一歩でもあったのだから……。

 中日の“勉強”から始まった正岡氏のプロ人生。「江藤慎一さんにはかわいがられたなぁ、『おい僕、僕』って言われてなぁ」と笑いながら、当時を思い起こし、しみじみとこう話した。「中日はこんな人間をよう4位で獲ってくれたよなぁ、現役を17年、コーチも2軍監督もスカウトもやらせてもらって、半世紀近くもお世話になったんだからな。ホント中日さまさまや」。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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