「もうないな」から一転…まさかの指名 「禁止されてた携帯を」記憶も飛んだ運命の日
2008年ドラフト6位で日本ハムから指名を受けた杉谷拳士氏
2008年10月30日。帝京高3年生だった杉谷拳士氏にとって、運命のドラフト会議が行われた。「この日だけは何をしてもダメ。練習をしていても全く集中できなかったです」。野球部グラウンドの横にある前田三夫監督の監督室で体育座り。インターネットで更新される各球団の指名に夢中になった。
帝京高の同級生にはドラフト上位候補だった高島祥平投手がいた。高校が用意した会見場には報道陣が集結。右腕が中日4位で指名されて会見場に向かうと、監督室で前田監督と2人きりになった。日本ハムはドラフト5位で福岡工高の中島卓也内野手を指名。「同じ高校生の内野手だったので、もう指名はないなと思いました」。その直後だった。
「日本ハムの指名6番目で自分の名前が呼ばれたんです。それまで前田監督から『おまえの行き先は(TDKのある)秋田だ』と言われていた。とにかく、めちゃくちゃ嬉しかったです」
意中の日本ハムからの指名。胸が踊る思いだった。「携帯は禁止だったんですけど、前田監督の前で自分の携帯を出してしまって。でも、前田監督は『いいよ、家族に電話しろ』と。親に電話したことぐらいしか覚えてないです」。
実家近くの駅で取材対応も「どこの会社の方か覚えていなくて」
杉谷氏が日本ハムから指名された際、現場にいた報道陣は数名。何を話したかも全く覚えておらず、大興奮のまま帰路についた。
「実家のある大泉学園の駅に着いて、1人の記者だけが取材に来てくれました。駅で写真を撮ったのを覚えています。ただ、どこの会社の方か覚えていなくて。あの時来てくれた記者の方、今、何しているんですかね。とにかく興奮しすぎてて。家まで飛ばして帰って、いろんな人から連絡が来て、返信しました」
「父(満さん)は北海道出身ですし、兄(翔貴さん)も網走の東農大オホーツク。北海道へ行きたい気持ちでした。どうしてもファイターズに入りたかった」
これがプロ野球選手・杉谷拳士の誕生した瞬間だった。
(小谷真弥 / Masaya Kotani)