「野球やめて、普通に働こう」諦めたプロの夢…絶対に抑えられない“就職先での苦悩”

日産自動車からプロ入りしオリックス・ロッテで活躍した川越英隆氏【写真:高橋幸司】
日産自動車からプロ入りしオリックス・ロッテで活躍した川越英隆氏【写真:高橋幸司】

ソフトバンクコーチ就任の川越英隆氏…日産自動車時代にプロへの手応えをつかむ

 2023年にリーグ3連覇を果たしたオリックスにも、かつて低迷期があった。2000年代は10年間でAクラスはわずか1度、球界再編騒動もあった。そんな中、小柄(174センチ)なエースとして奮闘を続けたのが川越英隆氏だ。プロ通算13年で54勝。活躍の要因には、社会人の名門・日産自動車で得た“学び”があったからだという。今秋からソフトバンク4軍コーチとなった川越氏に、2025年度からの復活が発表された日産での思い出を語ってもらった。

 1973年生まれ、神奈川県出身。甲子園を夢見て野球を続けてきた川越氏は、高校進学を機に県外に目を向け、福島県の学法石川高を受けて合格。1日200球から300球を投げ込み、20キロから30キロの距離を走り込む日もあるなど、まさに野球漬けの日々を送り、豊富な練習量でスタミナと自信をつけ、高3時には春夏連続出場を果たした。

 卒業後は、青山学院大に進学。2年上に小久保裕紀(1993年ダイエー2位)、1年下に井口資仁(1996年ダイエー1位)など、先輩にも後輩にもプロ候補生がキラ星のごとくひしめいていた。川越氏は東都リーグで3度優勝を果たすが、自身は通算20試合3勝2敗。故障がちで、思うようなパフォーマンスが出せなかった。

「野球をやめて、普通に働こう」。その時に、チャンスを授けてくれたのが日産自動車。当時の村上忠則監督は、1984年の都市対抗野球で日産自動車が初優勝した時の捕手でもある。

「日産とは大学時代から縁があったんです。オープン戦でも対戦しましたし、夏休み期間中に、自分の練習も兼ねて打撃投手のアルバイトもしていました。野球をやめようとしていた自分に続けるきっかけをいただいた、村上監督との出会いは大きかったですね」

 結果的に、この社会人野球入りが、川越氏の野球人生を好転させることになる。

社会人2年目に得た感覚…3年目には都市対抗MVPに

「社会人1年目(1996年)、僕は『絶対に無理だ』と思いましたね。金属バット相手なので、詰まらせても先っぽでもスタンドインされてしまいます。抑え方がまったくわかりませんでした」。2001年までの社会人野球は金属製バットを使用。大学時代のオープン戦での対戦では木製バットを使ってくれていたが、日産に入って初めて“金属バットの威力”を体感することになった。

 しかし社会人2年目、川越氏はある“感覚”をつかむ。「あ、こういう感じで投げていれば打者を打ち取れるんだ」。スピードは140キロ程度で、絶対的なウイニングショットを持つわけではなかったが、「球筋やボールのキレが、相手打者にこういう感じで見えれば振ってくれる確率が高くなる。そうしたものが感覚的にわかってきたのです」。

 金属バットとの対戦の中で、「コントロールの重要性」「自分の球質と打ち取れる球筋」「打者との駆け引き」を養っていったのである。これらの感覚を武器に戦えば、並み居る強打者たちの中でもやっていけるだろう。川越氏はそこで、プロを現実のものとして意識し始めた。

 社会人3年目。日産自動車は都市対抗で三菱自動車水島、NTT東京、東芝、西濃運輸、川鉄千葉を次々と撃破。創部2度目の優勝を遂げた。決勝で川鉄千葉を相手に完投した川越氏は、MVPである「橋戸賞」を掌中に収めた。

 川越氏は同年のドラフトでオリックスから2位指名を受け、新人年から11勝を挙げるなど、日産での学びを活かしてプロの舞台でも活躍した。

日産復活へ動いてくれた人たち…再開は「やっとここまできた」

 一方、平成不況に伴うリストラ策の一環として多くの企業スポーツの存続が不安視され、名門・日産も例外ではなく2009年に休部となった。「(日産元会長の)カルロス・ゴーンさんは、都市対抗での社員の応援を見て、『こういう素晴らしいものは残すべき』と言ったそうですが……。プロに行く1番のきっかけをいただいたのが日産でしたから、すごく寂しかった」。

 それでも、川越氏のほか、中田良弘(阪神で18連勝)、池田親興(1985年阪神日本一の主力投手)、川尻哲郎(阪神でノーヒットノーラン)、野上亮磨(西武ほかで通算58勝)ら好投手を、野手でも青木実(ヤクルトで盗塁王)、梵英心(広島で新人王、盗塁王、ゴールデン・グラブ賞)ら名選手を輩出してきた名門。復活を望む多くの声に後押しされて、2025年の再開を目指すことが9月に発表された。

「何年も前から復活に向けて動いてくださっている方がいました。ようやく公式に発表されて、やっとここまできたなと。活動再開のニュースは喜ばしい限りです」

(石川大弥 / Hiroya Ishikawa)

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