プロ目指すなら私立? 公立? 悩む進路に“都立の星”回答「活躍できると思う場所へ」

都立雪谷高時代の鈴木優氏【写真:本人提供】
都立雪谷高時代の鈴木優氏【写真:本人提供】

都立高卒史上初の1軍勝利を挙げた鈴木優氏…進路の決め手は「投手がしたい」

 2022年限りで現役を引退した元オリックス、巨人の鈴木優氏は、2023年現在、都立高から直接プロ入りして1軍勝利を挙げた唯一の投手だ。雪谷高から2014年ドラフト9位でオリックス入り。高2まで塾に通い大学進学を考えていた右腕は、なぜ高卒でプロ入りできたのか。進路選択の理由から、都立高での過ごし方を聞いた。

 鈴木氏は小学4年の時に少年軟式野球チーム「不動パイレーツ」で野球をはじめ、中学では部活動と軟式クラブチームを兼部。当時は捕手を務めていたが、鈴木氏自身の中にあったのが「投手をやりたい」という思い。複数の高校から捕手としてのオファーがあったが、投手として迎えてくれた雪谷高に進学した。

 平日の練習時間は1時間半から2時間。チームとしての練習メニューは設定されておらず、自ら考えて練習に励んだ。テストで赤点を取れば練習に参加できないため、勉強も必須。部活が終われば塾に通う日々だった。

 本気でプロ入りを目指したのは高2の終盤。同年夏の東東京大会ではエースとして5回戦まで進出した。同年の冬に目指していた東京六大学連盟の大学から誘いがあったが、条件はその時点での入学決断。ドラフト会議終了後までは待つことはできないということだった。「すごく迷った挙げ句、プロ1本にしようと決めました」。プロ志望届を提出し、オリックスから9位指名を受けた。

 球団で最後の指名で、実力も経験値も一番下からのスタート。1年目は「1軍で活躍するビジョンが全く見えなかった」。当時の吉田篤史投手コーチ、酒井勉コーチと話し合い、まずは球速を上げることにフォーカス。その結果、3年目で高校卒業時から8キロ増の最速153キロまで投げられるようになった。当時のオリックスでも150キロ超えは数人しかおらず、通用する武器を手に入れた感覚だった。

 高校時代から自ら考えることで成長してきた右腕。プロでもその経験は生きた。4年目以降はコントロールを身に付け、変化球を増やし、2020年7月1日の敵地・西武戦で、当時“山賊打線”と呼ばれていた相手打線を5回無安打7奪三振無失点に抑え、プロ初勝利を挙げた。プロ入りから6年が経っていたが、「確かに長かったですけど、毎年毎年、目指していた課題をクリアして上がっていったという感じがあった」。同年は救援もこなし、初セーブ、ホールドも挙げた。

現在は米国留学中の鈴木優氏【写真:本人提供】
現在は米国留学中の鈴木優氏【写真:本人提供】

悩む進路選択…プロ入りしたいなら「自分が活躍できると思う場所を選ぶこと」

 翌2021年に11試合に登板しながらも戦力外に。2022年は育成で巨人と契約したが、支配下契約は勝ち取れず、同年オフにユニホームを脱いだ。そんな紆余曲折のプロ人生を歩んだ右腕だが、都立高を選んだことはベストだと思っているのか。

「考えることは好きなので。キャッチャーで高校進学して、野手として野球を続けていたら、どんな生活をしていたのか。六大学に進んでいたのか。いろいろな可能性があったのかなとは思いつつ、今こうやって自分が満足しているので、ベストってことでいいのかなと思います」

 都立高から直接という近年では稀なケースでプロ入りした右腕だが、今後プロを目指す野球少年や進路に悩む保護者に送るアドバイスは「自分が活躍できると思う場所を選ぶこと」だという。

「選手のタイプとかもあるので一概には言えないですけど、例えば大阪桐蔭とかに行って、そこにはいい環境もそろっていますが、いつ試合に出られるのかわからない。それだったら早いうちから主力として試合に出たほうがいいと思います。もちろん、自分が大阪桐蔭でもレギュラー獲れると思うなら、それはその環境に行くのがベストだと思います」

 私立高には私立高の、公立校には公立校のメリット、デメリットがそれぞれある。自ら考え、道を切り開いてきた男の言葉には説得力があった。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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