中日の練習を見て「楽勝だと」 即2軍落ち…プロをなめた18歳が思い知らされた現実
彦野利勝氏は入団1年目の自主トレでは捕手だった
プロの第1歩はまさかのポジションからだった。元中日で野球評論家の彦野利勝氏は現役時代、強肩、強打の外野手として1988年のリーグ優勝などに貢献した。愛知高時代はエースで3番打者。1982年のドラフト5位で入団後、外野手に転向したが、実はスタートは外野でも投手でもなかった。最初に球団から渡されたのはキャッチャーミット。その年のセ・リーグMVPの中日・中尾孝義氏のような捕手になってほしいと言われていた。
本人もびっくりの捕手転向指令だった。担当だった高木時夫スカウトに「君は足と肩があって、背格好も中尾みたいな感じだし、キャッチャーをやってみないか」と言われた。「『小学校からキャッチャーだけは1度もやったことがないんですよ』と言ったんですけど『やれるんじゃない』って、キャッチャーミットをもらったんです」。
彦野氏がドラフト5位に指名された1982年は中日がリーグ優勝し、中尾がMVP。星野仙一投手とともに木俣達彦捕手が引退した年でもあり、その流れもあって「彦野捕手」の育成プランが持ち上がったようだ。ちなみに、後に中日の正捕手となる中村武志氏(花園高)は、その2年後の1984年のドラフト1位だ。
思わぬ事態に戸惑いながらも当時18歳の彦野氏は中日での自主トレ前からその練習に取り組んだ。「高校の冬場の練習に参加して、キャッチャーの練習をやりました」。1983年1月の自主トレも捕手として始動した。
「ブルペンでただ捕るだけなら捕れましたよ。むしろうまいくらいだったんです、キャッチングは。セカンドスローもたぶん練習すればできたと思います。でもね、打者が打席に入ると結局、怖いんですよ。バットを振られると目をつぶってしまうんです。キャッチャーフライもわけわからなかったし」。さすがに、これではプロの捕手は務まらない。
「自主トレ期間中に(首脳陣も)どうも無理だなって思われたんじゃないですかね。最後の時には『もういいよ、外野をやってくれればいい』と言われました」。それで「捕手」は終わったという。もしも、その時にきっちりこなしていれば、彦野氏の野球人生もまた違ったものになったかもしれないし、2年後の中村1位もどうなったか。「いや、それでも武志が入ってきて(ポジションを)取られたかもしれない。わかりませんよね」と想像して思わず笑みを浮かべた。
1年目も2年目も1軍には上がれず「入る隙間もなかったです」
そんなこともあった中、1年目のキャンプはスタートした。背番号は「57」。それまでその番号をつけていた平野謙外野手が「3」になって空いた番号をもらった。「言われた数字をつけただけ。ちょうどいいだろって言われました。“ひらの”も“ひこの”もあまり変わらないやないかってね」。キャンプ地は宮崎県串間市。「1軍も2軍もなくて串間のグラウンドの上と下でやっているようなものでしたね」。
プロのレベルに驚愕することはなかったという。「変な話ですけど、楽勝と思いました。体力的に負けることはなかったし、練習もきつくなかった。フリーバッティングも僕が一番打っていたと思う。スタンドにも放り込んでいましたしね。他の人より僕が打った方がいいじゃん、って。なめたガキですよね。やっていけるなと勝手に思っていました」。それは大間違いだった。日にちが経って、現実を思い知らされた。
「後で分かったんですけどね。皆さん、最初の頃はまだ自主トレみたいなものだったんですよ。キャンプといっても昔のやり方って4月に合わせるから、特にレギュラーの人たちとかは遊んでいるみたいなものだったんです。半月くらいまでは。だから僕なんかの方が目立つに決まっていた。けど、そんなことは知らなかったんでね。僕がへばってくると、他の人たちの状態が上がってきて、あっという間にスコンと抜かれて、後はスゲーな、スゲーな、でした」
当初はマスコミにも「凄い新人が入ってきた」みたいに報じられていたという。でもそれも尻すぼみ。「1軍のオープン戦には最初の都城の試合で1打席だけもらったんですけど、駄目でした。それで2軍。コーチには『メッキが剥がれるのは早かったな』って。それを言われた時は、さすがにちょっとショックでしたねぇ。でもなめていたのは間違いないですから」。結局、感じた、嫌でも感じさせられたプロの厳しさだった。
1年目も2年目も1軍には上がれなかった。「入る隙間もなかったです。外野は田尾(安志)さん、大島(康徳)さん、平野さんがレギュラー、その下に豊田(誠佑)さん、石井(昭男)さん、藤波(行雄)さんがいて、若いところでも川又(米利)さんクラスですから」。まさかの捕手からスタートしたプロ人生。1年目のキャンプでは力の差を痛感した。しかし、2年目は2軍で結果を出していた。このままでは終わらないとの強い気持ちも彦野氏にはあった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)