交代を言えずに大怪我…試合の勝敗も記憶なし 「無理だった」CSで遂げた奇跡の復活
須田幸太は球団初のCS進出に貢献も、シーズン終盤に左太もも肉離れで緊急降板
早大のエースとして活躍し、社会人のJFE東日本を経て2010年ドラフト1位指名でDeNAに入団した須田幸太氏が、Full-Countのインタビューに応じ、現役時代を振り返った。2016年の緊急降板、クライマックスシリーズ(CS)での奇跡の復活は忘れられないという。
ファンの間で語り草となっているのは2016年の“奇跡の復活”だろう。9月24日の巨人戦(横浜)で救援登板した須田氏は投球時に左太もも裏の肉離れを発症して緊急降板。その前日に投げた東京ドームでの巨人戦が“伏線”だったという。
「東京ドームのマウンドは硬いから、その反動がきているのかなという感じ。そんな感覚は初めてで、試合前からおかしいな、と感じていました」。不安を抱える中、7回2死からマウンドに上がると、1人目の打者の坂本勇人にフルカウントから投じた6球目がボールゾーンへ外れた。「四球になった最後の球が1番違和感があったんです。でも我慢して投げられる感じの張り。半信半疑で大丈夫かなと。自分で四球を出していたから、代えてくださいと言えなかった。今思うとそれが1番の間違いでした」。
続く阿部慎之助への初球だった。小雨の影響が残るマウンド。違和感を抱えての投球。「怪我するだろうなと思って投げました。でも全力で投げないと抑えられない打者。左足を着いた瞬間に足元がぬかるんで滑る感じがあって、グッと踏ん張った時にやってしまいました」。結果はファウルとなったが、須田氏は苦痛に顔を歪め、負傷箇所を抑えながらマウンドを降りると天を仰いだ。「これだけ1年間頑張ってきたのにCSは無理だ」。
この年、チーム最多62試合に登板し23ホールド、防御率2.68を記録。すでに決めていたチーム初のCS進出の立役者の1人だった。あまりのショックにこの日の記憶はほとんどない。試合の勝敗すら分からない。ただ、試合後にブルペン担当の木塚敦志コーチから「本当によく頑張った。しっかり治せ。CSはブルペン陣に任せて」の言葉は覚えている。「涙が止まらなかったです」と明かした。
三浦大輔の引退試合をスタンドで観戦「アドレナリンが出て痛みが引いた」
通常は2~3か月はかかるという肉離れ。転機は突然訪れた。9月29日のヤクルト戦(横浜スタジアム)は三浦大輔の引退試合。チームの功労者との“別れ”を惜しんでスタンドを埋め尽くしたファンの大歓声。観客席で観戦していた須田氏は見たこともない景色、感じたことのない異様な熱気に震えた。
「不思議だった。CSでもこんな感じになるのかと思ったら、ずっと体が熱いんです。アドレナリンが出ているような。アドレナリンが出ると痛みを忘れるというじゃないですか。それが次の日にも残っていて。痛みが引いたんです。それまで松葉杖をついていたのに、普通に歩けるし、軽く走れもした。めちゃくちゃ痛かったのに」。怪我から5日後、奇跡のはじまりだった。
痛みが軽減したことで方針転換。CSでの復帰へ舵を切った。「(10月12日からの)CSファイナルには間に合いますか?」。トレーナーの返事は「間に合わないだろうね」。それでも電気治療、激痛を伴う筋膜リリースのマッサージ、公共施設で炭酸泉と水風呂の交代浴8セットなど、考えられるできることをやればやるほど、痛みは引いていった。
DeNAもCSファーストステージで巨人を倒し、広島とのファイナルステージへ駒を進めた。チームが広島との第1戦を迎える12日、負傷後初の投球練習とシート打撃登板で感覚を確かめた。「痛みはゼロでした」。ラミレス監督のゴーサインもあり、13日に緊急広島入り。0勝2敗と後がない14日に“本隊”へ合流した。
CS3戦目の大ピンチで復活登板…魂のオール直球で新井貴浩を抑えた
とはいえ故障明けとあって、第3戦で登板する投手の優先順位としては1番最後だったという。「これも駄目で、これも駄目で、あいつも駄目で、あいつも駄目だったら投げる、みたいな立ち位置でした。そうしたら、“これ”も“あいつ”も駄目になったんです」。3-0の8回に救援陣が崩れて2死満塁。打席には新井貴浩。最大のピンチでコールされたのが須田幸太だった。
木塚コーチから「お前で負けたら仕方がない。腹を括って行ってこい!」。マウンドでの打ち合わせでは捕手の戸柱恭孝から「サインなんてないっすよ。全部まっすぐでいきます」。渇望していたCSのマウンド。右腕は指示通り腹を括った。全力の直球勝負。カウント2-2から2球ファウルとなり、投じた7球目。魂のこもった144キロが新井のバットを押し込んだ。
力のない飛球は右翼のファウルゾーンへ。ファーストステージの巨人戦での死球で左手小指を骨折していた梶谷隆幸がフェンス際へ躊躇なく飛び込み好捕した。右邪飛。須田氏は右腕を突き上げた。ベンチに戻ると仲間たちは痛みでしばらく立ち上がれなかった梶谷のもとへ集まっていく。「僕も含めて、みんなが梶谷を心配しているなか、シノさん(篠原貴行投手コーチ)だけ自分のところに来て『ナイスピー』と言ってくれました」と笑った。今季絶望の怪我から、わずか20日後の出来事だった。
結局、DeNAは翌14日の第4戦に敗れて終戦を迎えたが、球団のメモリアルイヤーに、奇跡の復活でファンを感動させた須田氏は確かな足跡を残した。「あの復帰で学んだことは『人間マジのマジになれば何とかなる』ですかね。あの時だけは頭の中全て、100%が治すことだけだったから」。熱い思いで肉体を凌駕した須田氏。まさか、この2年後に戦力外通告を受けるなど、誰も想像していなかっただろう。
(湯浅大 / Dai Yuasa)