悲願のVにどんちゃん騒ぎ 酔っぱらって酒を回し飲み…忘れられぬエースの顔

元西武、中日の大石友好氏【写真:山口真司】
元西武、中日の大石友好氏【写真:山口真司】

広岡監督が就任した1982年に日本一…大石友好氏は101試合に出場した

 強肩捕手だった大石友好氏(元西武、中日)が「最高の思い出」と話すのは1982年の日本シリーズだ。西武が中日を4勝2敗で下して日本一、最後は三振で決まった瞬間を捕手として経験した。マウンドの東尾修投手のもとへ駆け寄って大歓喜、広岡達朗監督の胴上げ……。「まさかプロ3年目でね。夢じゃないかと思った」。その年は101試合に出場したが、決して順風満帆なシーズンだったわけではない。怪我との闘いも乗り越えての栄冠だった。

 西武を1958年以来、24年ぶりの日本一に導いた広岡氏は管理野球で知られる。「私生活から食事面までね。1年通して、いい成績を残すにはまず健康な体が大事であり、そのために食事は野菜中心、玄米と豆乳は絶対食べなければいけなかった」と大石氏も振り返った。西武が広岡体制となったのは1981年オフ。根本陸夫監督が勇退し、後任として1978年にヤクルトを日本一にした名将を招聘した。そして広岡監督は西武1年目でいきなり結果を出したのだ。

 1981年の秋季練習から西武・広岡野球は始まった。当時、大石氏は“病み上がり”の状態だった。プロ2年目のその年、前期はレギュラーとして活躍。オールスターにも出場したが、その後、故障離脱した。「ホームにスライディングした時、キャッチャーにブロックされて膝を痛めた。右膝内側側副靱帯損傷。3か月は野球ができなかった。僕のシーズンはそれで終わりました」。その怪我が何とか治ったくらいのタイミングで新体制となった。

「練習はできましたよ。フルに、ってわけにはいかなかったですけどね」。レギュラーをつかみかけたところで怪我による仕切り直し。広岡監督ら首脳陣にもアピールしなければならない。1982年のキャンプ前に南海から黒田正宏捕手がトレードで加入し、1981年のドラフト1位・伊東勤捕手もいた。そんな中、大石氏は背番号を「41」から「9」に変更した。「それまで9番だった(外野手の)長谷川(一夫)さんが引退されたので、球団にお願いしたんです。1桁が欲しかったんでね」。

 それもまたレギュラー再奪取に向けての励みにもなったのだろう。大石氏はキャンプ、オープン戦と必死に取り組み、入団以来3年連続となる開幕スタメンマスクを勝ち取った。ただし「その試合も負けていますよね(7-10)。僕は開幕戦にいい思い出がないんですよ」。大石氏は西武在籍5年間すべてで開幕スタメンなど、現役12年間で8度もその大役を務めながら成績は0勝7敗1分けと“相性”は悪かった。だが、それだけ任されたのは実力なしではあり得ない。

日本シリーズでは第5戦からスタメン…エース東尾と歓喜の抱擁

 この年の大石氏は、優勝した前期など前半戦のほとんどでスタメン出場。見事にレギュラー捕手となり、2年連続でオールスターにも監督推薦での出場が決まった。ところが、ここから事態は暗転した。「オールスター前の最後の試合(7月22日、日本ハム戦、西武球場)で怪我をしたんです。人工芝で滑って古傷の膝を痛めてしまったんです」。そのため球宴は辞退。戦線を離れることになってしまった。

 その後、復帰したものの、スタメンマスクは黒田が務めるケースが増えた。後期は3位に終わり、後期優勝の日本ハムとのプレーオフは、西武が3勝1敗で制したが、大石氏は4戦ともにスタメンから外れた。苦しい時期だった。中日との日本シリーズも4戦目まで途中出場だったが、ここから取り返した。2勝2敗で迎えた第5戦からスタメンとなり、2試合連続でフルイニング出場。第5戦は杉本-東尾のリレーで3-1と勝って王手、大石氏の好リードが光った。

 そして敵地・ナゴヤ球場での第6戦は9-4。高橋直、森、工藤、小林、東尾の5投手が登板して西武が日本一に輝いた。「最後は(中日)大島(康徳)さんを空振り三振。僕はスライダーのサインを出したんですが、東尾さんが首振って、外真っ直ぐでした」と大石氏は昨日のことのように話す。ラストボールがミットに収まった瞬間、右手にボールを掲げながら、東尾のところへ走った。マウンド上に歓喜の輪が広がり、広岡監督が宙を舞った。

「あの光景は一番の思い出です。僕は東尾さんのうれしそうな顔が忘れられません。東尾さんは西鉄、太平洋、クラウンとずっと優勝できなかったなかでの日本一。その気持ちが、あのマウンドで出ていましたからね」。手にしたウイニングボール。「僕がもらおうとしたんですけど、これはやっぱり広岡監督に渡さなければいけないなと思って、そうしました」と笑顔で話した。怪我で苦しんだことも一気に吹き飛んだ。

「名古屋のホテルでビールかけして、どんちゃん騒ぎ。終わってすぐ新幹線に乗って東京に帰った。東京駅に着いたら、選手だけバスで銀座に移動。超一流のクラブでまた祝勝会でした」。作家、作詞家で西武ファンとしても知られた山口洋子さんがオーナーの高級クラブ「姫」で騒ぎ尽くした。「田淵さんや東尾さんが主催してくれたと思います。バスで電通通りの『姫』の前につけてね。みんな酔っぱらって、アイスペールに酒を入れて回し飲み。ああいうことをやれたのも思い出ですね」。あの日の感激は大石氏にとって一生の宝物でもある。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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