限界だった左肩…神経麻痺で「手術しても5%未満」 ドラ1が後悔する「最初の選択」

元ヤクルト・加藤幹典氏【写真:町田利衣】
元ヤクルト・加藤幹典氏【写真:町田利衣】

加藤幹典さんはプロ通算23登板で1勝3敗、防御率9.13でわずか5年で引退

“ドラ1”という大きな肩書きを背負って飛び込んだプロ野球の世界も、期待に応える活躍はできなかった。元ヤクルトの加藤幹典氏は、わずか5年で終わったプロ生活を「一言で言うと、大変でした」と表す。故障を抱えながら言い出せなかった日々に、胸に残る後悔を吐露した。

 慶大時代に東京六大学リーグで21世紀初の30勝投手となり、“大学BIG3”の一人と称された。2007年の大学生・社会人ドラフト1巡目でヤクルトに入団。順風満帆に見えた野球人生だったが、プロ入り後に“2つのズレ”を感じたという。

「まず、プロ野球に入ったらさらに上の世界で自分が成長できると思っていた認識が違っていました。プロは見せる場で、試合経験でうまくなることもあるけど調整がメイン。成長できる場ではなかったのかなと。もう1つは縦社会で、理不尽なものが残っていて大変な世界でした」

 何よりも苦しんだのは左肩を襲った違和感だ。早い段階でチーム関係者に相談していたが「『プロの世界は一度休むイコール2軍に落ちるということ。2軍で調整するか1軍でやるか自分で選びなさい』と言われたんです。投げられなくはないし、1軍で頑張りますという選択をしてしまいました」。

 シーズン序盤に東京ドームで計測した149キロは、半年後には145キロに。翌年にはさらに球速が2キロ落ちた。「訳がわからないまま過ごして……」と振り返ったが、当然結果はついてこない。プロ1年目は8試合の登板で0勝2敗、防御率8.86、2年目は1試合に登板も、1死も取れずに満塁弾を浴びるなどして降板し、防御率は無限大として扱われている。

周囲の厳しい声も「気にしない性格。気にしていたらメンタルつぶれます」

「荒れていました。やっても結果が出ないし、今まで通りやっても状態が戻らないから落ち込んで……」というプロ3年目の2010年に結婚。8歳上の愛妻からの「給料=我慢量だよ。高いお給料をもらっているんだから、人よりも大変なことがあるのは当たり前でしょう。それに見合うようにやりなさいと」との言葉に「救われましたね」と感謝する。それ以来、より覚悟を持ってトレーニングに励むようになった。

 同年、左肘を故障したことで検査を受けることになり、左肩も一緒に精密検査したところ「左肩甲上神経麻痺」の診断を受けた。「もっと早く見つかっていれば対処法もあったみたいなんですが、2年間放置していたので……。手術しても治る確率は5%未満と言われて、そこに懸ける勇気もなくて、今のままやりますと。そこからは今ある中で全力という選択をしました」。結局その後も輝かしい成績は残せず、プロ通算23登板で1勝3敗、防御率9.13だった。

 期待が大きかったからこそ、当時周囲から厳しい声も浴びたが「気にしない性格なので。一個一個気にしていたらメンタルつぶれます。ストレス耐性は強いです」。10年以上のときが経ち、吹っ切れた表情で話す。

 後悔は――。そんな問いに「最初の選択だけですね。自分が1軍にいるという環境でチームに貢献したいという部分と、そこで調子が上がらないという部分で、検査していれば、もしかしたら自分の野球生活が変わったかもしれないということだけですね、後悔は」と答えた。この選択が全てだったと言ってもいいだろう。加藤氏の現役生活は、わずか5年間で終わりを告げた。

(町田利衣 / Rie Machida)

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