「自分は邪魔」戦力外で決断した“二刀流” 超異例の現役&裏方…34歳が異国で追う夢
昨季限りでDeNAを戦力外となった平田はベースボール・ユナイテッドに出場
昨年11月にドバイで行われた中東初のプロ野球リーグ「ベースボール・ユナイテッド」に日本人で唯一出場して勝利投手となったのが、昨季限りでDeNAを戦力外となった平田真吾投手だ。「すごく楽しかったので」と今年も中東プロ野球リーグ出場を目指し、DeNAのアナリストとの超異例の“二足のわらじ”を履く。
昨秋、34歳でDeNAを戦力外となったが「まだ野球をやりたい」という気持ちは揺るがなかった。すぐに中東野球の存在を耳にして興味を持ち、球団関係者に参加を打診したところ縁がつながり、カラチ・モナークス(パキスタン)からの5巡目指名を受けた。
アラブ首長国連邦のドバイで、試合会場はクリケット場だった。ロッカーやシャワーはしっかりとあったが、ブルペンは板でできた簡易的なもの。「スパイクで投球練習はできなかったです。環境はまあ……って感じですけど、不便はなかったです。トイレにウォシュレットがなかったのがちょっと困ったくらいです」と異国の環境を苦にすることはなかった。
「オールスター・ショーケース」として2試合が行われ、平田は第2戦に登板して2回2失点で勝利投手となり、歴史に名を刻んだ。「ああいうマッチだから和気あいあいとしていて、相手チームの人と仲良くというか。アジア系は僕だけでしたけど、ゲーム性もあってすごく楽しかったです」と笑みがこぼれた。
そこで生まれたのが「また中東でやりたい」という目標。一方で、DeNAからデータ収集や分析などを行うアナリストの打診も受けた。独立リーグや社会人の選択肢もあったそうだが「右投手は結構きついので入れる保証もないし、若い人ばかりの中でやってもこの年で自分は邪魔かなって。行っても先は短いし、だったらここで勉強した方がいいかな」と覚悟を決めた。
「仕事も大変なので、その合間に練習って結構きつい。妥協したら終わり」
“裏方転身イコール現役引退”となるのがこれまでの一般的な考え方ではあるが、平田は球団に中東野球リーグに2024年も参加したい旨を伝えると、快諾された。「ダメ元だったんですけど認めてもらえた。ありがたいですね」と感謝。トレーニングを続け、オフの登板を目指していく。
「正直(中東リーグが)どうなるかは分からないし、どうやって選手が集められるのかも分からない。こっちの仕事(アナリスト)も大変なので、その合間に練習って結構きついと思う。妥協したら終わりです。でもとりあえず今は、今年も行きたいなと思っています」
北九州市立大時代にはゼミでエクセル、ワード、パワーポイントは一通りやっていたというが、久々のパソコンを使っての作業や、アナリストとしての覚えることの多さに必死の日々。一方で、1月は新人相手にライブBPに登板してドラフト1位の度会らを「すごい」「球がうなっている」と驚愕させるほどの投球も披露した。これもトレーニングを続けている平田だからこそ、のチームへの貢献といえるだろう。
プロ10年間で227試合に登板し、歩み出した新たな道。「NPBってすごい世界だったなって。レベルもお金も。分かっていたことだけど、やっていると実感がわかないんです。選手のときって分かっているようで結構軽く考えていたので、中東でそれを実感しましたね」。戦力外という岐路で野球の楽しさを再実感した男は、裏方として選手をサポートしながら、まだまだ自らの夢を追う。
(町田利衣 / Rie Machida)