TV見て仰天「なんでこんなボールに」 思わず体起こし…師匠も予期せぬ虎守護神の“覚醒”

元阪神・藤川球児氏【写真:荒川祐史】
元阪神・藤川球児氏【写真:荒川祐史】

山口高志氏はコーチやスカウトでも手腕を発揮…藤川球児の台頭にも尽力

 元阪急(現オリックス)投手の山口高志氏は1982年限りで現役引退した後、オリックスと阪神で投手コーチやスカウトを務めた。現在は母校の関西大学硬式野球部のアドバイザリースタッフ。2015年に阪神を退団し、2016年に学生野球資格回復認定を受けてから就任した。関大での教え子の数も増えたが、2024年は金丸夢斗投手がドラフトの目玉として注目を集めている。「カーネクスト 侍ジャパンシリーズ 2024 日本 vs 欧州代表」(3月6、7日、京セラドーム)に出場する野球日本代表「侍ジャパン」にも選出された逸材左腕に、「絶対3連投ができる体になってほしい」と注文をつけた。

 現役時代に剛球を武器に活躍した山口氏は指導者、スカウトでも“結果”を出した。オリックス投手コーチとして1995年のパ・リーグ制覇、1996年のリーグ優勝&日本一を経験。阪神投手コーチ時代には、伸び悩んでいた藤川球児投手を指導して覚醒させた。スカウトとしてもオリックスでは2001年新人王の大久保勝信投手を松下電器から、阪神でも左腕・岩田稔投手を関大から、自身の古巣人脈も活用して獲得に尽力した。

「オリックスコーチ時代で一番印象に残っているのはイチローと一緒に野球ができたことですよね。入ってきた時からすごかったけど、順調に成長して、俺も日本一チームのコーチになれましたからね。1995年は阪神・淡路大震災があって、野球をやっていていいのかと思いましたけど、神戸の方に逆に励まされましたよね」。そこには仰木彬監督の存在も絡む。「人との出会いで人生って変わっていきますよね」としみじみと話した。

 2003年に阪神2軍投手コーチに就任したのは、星野仙一監督とのつながりがあってのこと。「俺と同い年の加藤安雄(元阪急)が倉敷商、明治大と星野さんの後輩。その関係で星野さんが評論家の時、一緒に食事して野球の話をいっぱいしてもらった。加藤は中日でも阪神でも星野さんの下でコーチをやっていたし、その縁もあって星野さんが声をかけてくれたんです」。その阪神での2年目、1軍監督が岡田彰布氏になった2004年に藤川と出会った。

「よく球児を育てたって言われるけど、いつも思うのは俺、何人のピッチャーと関わってきて、何人が育ってくれたんだろうかということ。教えすぎて失敗したことはいっぱいありますから。球児に言ったことは、右の上手投げのピッチャーにはだいたい同じことを言っているんです。球児の場合、ちょうど野球人生でこうなりたいというのがあった時に俺がたまたま横にいた。巡り合わせしかないですよ」

注目ドラフト候補・金丸夢斗に「3連投できる体になってほしい」

 ベースになったのは神戸市立神港高校時代に高木太三朗監督に指導を受けた“上から叩く”。「球児の高校(高知商)の時の映像を見ても、やっぱりもっと上から叩いた方がいいと思った」。軸足の右膝を折らないようにギプスをつけて投球練習させるなどしたが、その成果が1軍のマウンドで出たのは1年後。山口氏が2004年オフに阪神スカウトとなってからのことだ。

「家で寝転がってテレビでタイガースの試合を見ていたら、球児がリリーフで出てきて1球投げた瞬間にソファに座り直しました。変わりかけは知っていたんですけど、何でこんなボールになったんだって思いましたよ。すごいボールを投げていましたから。岡田監督がリリーフで使ったのが結果的に良かったんですよね」。そこから“火の玉ストッパー”と呼ばれるまでになっていく教え子の成長には、指導した人間であっても衝撃を受けたそうだ。

 山口氏は自身の現役時と比較して「球児の真っ直ぐには品がある。俺の真っ直ぐは品がない。球児のは剛球だけど、快速球的なパチンと伸びるボール。俺のはドーンという感じ」と表現した。指導者として、うれしい限りだった。そして、時を経て令和の今、新たに楽しみな存在となっているのが2024年ドラフトの目玉と目される関大のMAX153キロ左腕・金丸だ。

 山口氏の母校・市神港と兵庫商が併合し、2016年に開校した神港橘出身。2023年秋の関西学生リーグで6戦6勝、防御率0.35、51イニングを投げて74奪三振をマークした。現在、リーグ戦は18連勝中で、山口氏が持つリーグ最長記録の21連勝にも迫っている。山口氏は「びっくりするくらい評判がよすぎて困っているんですけどね、心配で」と言いながらも笑みがこぼれた。「4回生でキャリアハイの年にしてほしいというのが、一番の今の目標ですね」とも口にした。

「金丸には『お前はまだまだやな、1試合の三振数もトータルの勝ち星も俺より下やしな』って言っています」と山口氏は言う。「大学は1節が2勝1敗で3試合でしょ、これが1週ずつある。絶対に3連投できる体になってほしいんです。神宮の大学選手権の決勝が3連投目だったとしたら、行きますと言えるくらいになってほしい。3連投は絶対させたくないし、投げさせるかどうかは別にして、それくらいの強い体、強い心に1年かけてなってほしいなと思います」。

元阪急・山口高志氏【写真:山口真司】
元阪急・山口高志氏【写真:山口真司】

広島・森、ロッテ・高野も教え子「見ながら苦しいです」

 山口氏が学生だった頃とは時代が違う。「我々がやってきた練習を教えるわけにはいかないというか、もっともっと自主性を持ってやってほしいから、ある程度、学生任せにしているんです。今の学生はブルペンで投げる数がすごく少ない。自分的には投げてほしいな、投げさせたいなって思うけど、強制的にやらせても絶対身につきませんからね」。指導者の立ち位置は変わったが、これまで以上に目配りは必要になっている。

「よその大学でも1、2年の時にすごかったピッチャーが故障して調子を落として、4年生になったら成績が下がるケースがある。(177センチ、77キロの)金丸もあまり大きな体じゃないですし、今、投げているボールに対して体が悲鳴を上げるんじゃないかという心配がちょっとあるんです。だから自己管理もしっかりしてほしいと思います」と山口氏は訴えるようにも話した。

 大学の後輩でもある教え子のことは、卒業後も気になってしかたない。「ここ3年でピッチャーが2人、プロに行っている(広島・森翔平投手とロッテ・高野脩汰投手)。活躍してほしいけど、テレビで見ながら非常に苦しいですよ。なんで自分の子でもないのに、後輩というだけなのに心配しないといけないのかなって思いますね」。もはや親のような心境でプロでの飛躍を願って、応援している。

 高校、大学、社会人、プロと目一杯の投球で一世を風靡した伝説の右腕は「ずっと俺の野球人生を見たら、いろいろな岐路で、いろんな人に守ってもらったなってイメージがあるんですよ」と話す。「高校で不登校になってフラフラしている時には担任の先生、野球部の部長にもお世話になった。高校、大学の監督もそう。俺ひとりで決断したことは、ほとんどない感じです。明日あさってのことに関してはちゃんと線路を引いてくれた」。

 両親はもちろんのこと「守ってくれた人がいたから、ひとつの道をずっと順調にこれたんじゃないかなって思う」と山口氏は感謝した。プロでは活躍した時期が短かったが、アマ時代も含めて残した結果はすごすぎる。「ノムさん(野村克也氏)の『高志の球が一番速かったよ』という言葉と、球児が野球人生の中で俺と知り合ったのが財産だって言ってくれること。その2つが俺の宝物です」と話したが、山口氏が野球ファンに与えた感動はそれ以上だろう。

 現在73歳。関西大学硬式野球部アドバイザリースタッフとして継続中の野球人生は、教え子の活躍など、まだまだ楽しみもいっぱいある。「先日、大学OBの集まりがあったんですけど、いつまでもそういう席で酒を飲めるように年をとっていきたいと思いましたね。健康が一番ですよ」。野球界のためにさらに力を注いでいく考えの伝説の右腕は、そう言って優しい笑顔を見せた。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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