「本当に小学生か」度肝を抜かれた巨体 阪神で同僚に…ライバルは「ひとりだけ大人」
阪神と中日で活躍した久慈照嘉氏は、小学時代から中込伸投手としのぎを削った
現役時代はショート守備の名手としてプロ野球ファンを魅了し、引退後は阪神1軍コーチとしても力を発揮したのが久慈照嘉氏だ。1991年ドラフト会議で阪神に2位指名されて日本石油(現ENEOS)から入団。プロ1年目から活躍して新人王に輝いた。1997年オフに中日へトレード移籍、2002年オフに阪神復帰など激動の野球人生を送ってきたが、巨人・高田繁内野手に憧れ、阪急・福本豊外野手に衝撃を受けた少年時代からいろんな“出会い”に支えられたという。
山梨県甲府市出身の久慈氏は「僕が通っていた富士川小学校はもう閉校になったんですが、すごく歯にうるさい学校でした。必ず昼休みは全員で歯磨き体操というのをやっていましたね」と懐かしそうに話した。野球にのめりこんでいったのも、その小学校時代だ。「他人の家の壁にチョークで的を書いて、ここが10点だ、ここが5点だとか的当てみたいなことをやって、そこの住人の方に『いいかげんにしなさい』って怒られた記憶もありますね」。
サッカーも盛んだったそうだが「僕は野球の方が好きだったんだと思います。小学校では授業も聞かずにノートにプロ野球12球団の帽子のマークを書いたりしていましたしね」と話す。1979年の小学4年からは軟式野球。「学校のスポーツ少年団の野球部に入りました。サッカー部の監督から誘われたんですが、野球を選びました。一緒に遊んでいたヤツも野球をやるっていうんでね。4年の時はピッチャーとサード。5年の時はサード。6年はショートとピッチャーでした」。
巨人ファンだったという。「テレビでは巨人戦しかやっていませんでしたしね。サードの高田繁さんに憧れていました。高田さんの青いグラブがかっこよく見えましたね」。プロ野球を初めて見たのは西武球場での西武-阪急戦。「衝撃的だったのは(阪急の)福本豊さん。初回にヒットを打って、2球で三塁までいったんですよ。二盗、三盗して……。それはすごく鮮明に覚えています」。プロのハイレベルなプレーを目の前で見て、刺激を受けたのは言うまでもない。
そんな少年時代から野球の技術も磨かれていった。「小学校のチームの土橋監督は鬼監督でした。土日は試合が終わって、夜に監督に家に呼ばれて、庭でスイングさせられたり……。僕は常に呼ばれていました。だから土日は自分の家で飯を食った記憶があまりない。いつも監督の家で食べていた感じでしたね。チームも強かったですよ。県大会では準優勝でした」。その大会では、高校までライバル関係が続き、阪神では同僚となる中込伸投手とも対戦した。
「中込は同じ山梨県(出身)ですし、小学校の時もいつも上の方で当たるんですよ。その時は準々決勝くらいで勝ちました。中込は体がでかくて、ひとりだけ大人かと思いましたよ。本当にあれ、小学生か、ってね。僕はヒットを1本打ったと思います。あいつも連投、連投って感じでしたからね」。のちに1988年の阪神ドラフト1位投手となる中込投手との出会いもまた、久慈氏の野球人生を刺激するものになったようだ。
中学からショートに固定され活躍、山梨県では負けなし
1982年に甲府市立東中に入学。久慈氏は「中学の日原監督も鬼監督でした。野球経験のない先生だったんですが、よく怒られました」と苦笑する。「朝練があったし、雨が降っても作業用の長靴で練習でした。土日は朝から晩まで練習。遠征試合の時は自転車で移動。一番遠いところで1時間くらいかけて行っていましたね。中学もチームは強かったですよ。僕が2年と3年の時は山梨県内で負けなしでした。関東大会では群馬のチームに負けましたけどね」。
中学からポジションはショートに固定された。「打順は1番、3番、4番のどれかでしたけど、僕はたぶん、打つ方より守備の方が好きだったと思いますね」。ショート守備の達人は、この頃から片鱗を見せていたのかもしれない。加えて、この時期の練習は、ある意味で久慈氏の“土台”になったという。
「監督のことを先生と呼ばなければいけなくて、凡打してベンチに戻ってきたら、なぜか知らないけど、先生の前で『すみません』って言わなければいけなかった。先生は無反応ですけどね。ヒットを打ったら褒められるわけじゃないんですよ。ほとんど褒められたことはない。エラーしても今みたいに『OK、OK、次、切り替えていけよ』じゃなかった時代ですしね。だけど、その先生のおかげで鍛えられましたよ。技術どうこうではなく精神的にね」
指導スタイルの是々非々はともかく、久慈氏はそんな時代を乗り越えて、次の道に進んだ。「たまたま上手いヤツが甲府東中に集まっていたんですけど、山梨県で強くなったおかげで、高校からも誘われましたからね」。小学校、中学校時代の2人の「鬼監督」に対しても何のわだかまりもない。むしろ感謝しているそうだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)